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死んで、生きる。映画『ひまわり』観賞メモ

映画『ひまわり』を見た(ひまわり (1970年の映画) - Wikipedia)。
戦争による、自らの愚かしさによる、悲恋である。
誰でも思いつくような感想をメモ程度に書く。
ネタバレあり。

愚かしさ
アントニオ、ジョバンニの言動には、一定の愚かしさを含む。
浅薄で、考えなしで、誠実とは言えない側面。
これが事態をややこしくする。
映画冒頭、結婚に踏み切るのも、本当に愛していたからかどうか怪しい。
卵を大量に使い、食べきれない大きさのオムレツをつくり、案の定たべきれず捨てる。
結婚後の12日の特別休暇の甘い時間を終わらせたくなくて、精神病のフリをする企みを行うも失敗。ロシア行きが決まる。
またジョバンニも、せっかくアントニオと再会できたのにロシア人との再婚がショックで再開した瞬間、汽車に乗り込んで逃げ去る。
肝心な場面で逃げる。
アントニオは再会後、上の空でジョバンニに会いにイタリアに向かう。そこで子供がいることを知ったうえで二人でやり直そうとジョバンニに迫る。ここではジョバンニがさすがに母の品格をもって貴方にも子供がいるでしょうと断っていたが非常に考えなしである。
この点、ロシア人の娘はジョバンニがイタリアから来たときも誠実に対応したし、アントニオの救出も誠実であった。

3つのひまわり
冒頭のひまわり畑、最後のひまわり畑で、ヨリで映し出されたのは3つのひまわりだった。これはジョバンニ、アントニオ、ロシア人の娘だろう。
ひまわり畑の下には、ドイツ軍による大量虐殺の犠牲者たちが眠っている。イタリア人もいれば、ロシア人もいる。
ひまわり畑はイタリアとロシアにおける、戦争被害の象徴として描かれる。

そして、数多の犠牲のうえに生きる、3つのひまわり。

ロシア人の娘はアントニオとの運命的な出会いを、戦争によっている。
ジョバンニはひまわり畑に、無数の軍人の墓に、アントニオを思い、探したことだろう。
戦争に翻弄された女性。そして男性。
ジョバンニがロシアで出会った、ロシアに帰化したと思われるイタリア人のセリフ「イタリア人としての俺は死んだ」。
そして、最後のシーンのアントニオのセリフ「俺はあのとき(雪の行軍をあきらめたとき)一度死んだ」。

死んで、生きる。

アントニオが約束通り毛皮をプレゼントしたのはよかった。

なかなかいい映画だった。

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