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【短編小説】深海図書館
止まない雨は確かにそこにあった。
雨はずっと降り続けて私たちの街をごくっと飲み込んだ。
大人たちは暗い顔のままどこかへ消えてしまったが、私は世界が大きなプールになってとても、とてもよろこんだ。
だから私に罰が下ったのだ。
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その日の私はひどく落ちこんでいた。
「遠波さん、どうしてあなたは大きい声で歌わないの?」
それは高校に入学して初めての合唱コンクールに向けて初めての放課後練習をしている時のことだった。
先生は練習をいきなり止めて、私の腕をひっぱりクラスメイトたちがみんな見ている前でそうどなった。
歌わないって、何? 私、わざと小さな声で歌っているわけじゃないよ?
私の他にも大きな声を出して歌っていない子たちがたくさんいるのに、どうして私だけが怒られるんだろう。どうして私だけなの? どうして私だけ……。
合唱の練習はまだまだ始まったばかり。私はふとんをかぶって明日がやってくるのをガタガタとふるえていると、ぱらぱらと雨が降り始める音がふとんごしに聞こえてきた。
やがてバタバタと慌てた様子のパパとママがテレビをつけて何かを真剣に話し始めた。それは2人がふだん私に見せている顔とはまるで違っていて、なんだか別の人たちになってしまったみたいだった。
ごうごうと雨は降り続ける。この勢いのままずっと雨が降ってくれればきっと明日は学校に行かなくてよくなるはずだと思い、私はとても、とてもよろこんだ。そして、そんなことを考えながら私はいつのまにか眠ってしまった。
朝目覚めると、この世界から私以外にだれもかもいなくなってしまっていた。
それでも私はあまり気にせずに、外に出て街の中をすいすいと泳ぎはじめた。まるで街がまるごと大きなプールになったようで、いつのまにかずいぶん深くまで泳いでいると、とつぜん目の前に現れた小さなお魚さんたちが私のまわりをグルグルと泳ぎはじめた。
そして彼らは、
「らでんちゃん、大変だよ。教頭先生がらでんちゃんのことを探していたよ?」
「そうだよ、はやく学校へ行かないと怒られちゃうよ」
まるでクラスメイトのように気さくにそう話しかけてくるのだった。
「でも学校ってとても遠いのよ。私、そんなに遠くまで泳いでいける自信がないわ」
「何を言ってるんだい、らでんちゃん。毎日空のすべり台を使って登校してるじゃない」
「そうだよらでんちゃん。らでんちゃんのお家の屋根をよく見てみなよ」
たてじまもようの双子のお魚さんたちはそう言って心配そうに私の顔をのぞきこむ。私はなんだか恥ずかしくなって言われたとおりに自分の家の方向を見た。
すると、私の家の屋根の上から白いわたぐもでできたながいながいすべり台が私が通っている学校に向かって勢いよくのびているのがわかった。
「お〜い、そこの2匹! らでんちゃんが学校に行くのを手伝ってあげて!」
おませなオレンジ色のお魚さんがそう呼びかけると、遠くを泳いでいた2匹のマンタが私の足もとにもぐりこみ、そのうちの1匹のマンタの背中に乗せられた私の体はぐんぐんと水面に上がり始めた。
そして私の体が水面の上に浮き上がると、マンタたちは私の体を乗せたまま空を泳ぎ続け、すべり台まで運んでいってくれる。
「2匹ともありがとう。おかげで私、教頭先生に怒られないですみそうよ」
「いいよ、いいよ。その代わり、今度教科書を持ってくるのを忘れたら貸してねらでんちゃん」
「僕たちのクラスは忘れ物をしたら反省文を書かされるんだ。らでんちゃんたちのクラスが羨ましいよ。それじゃあまた学校でね」
マンタたちは協力して私の体をふわりとすべり台の上に乗せてくれると、すぐに私の体は学校に向かってグングンとすべり始めた。雲でできたすべり台はモコモコで、私はベッドに寝ころんだまま登校しているような気持ちになり、これなら毎日だって学校に行くのになぁ、なんてことを考えていた。
あっというまに学校についた私は教頭先生を探そうと正門に向かって泳いでいく。校庭ではたくさんのお魚さんたちがかけっこをしている姿が見えていた。
私は靴箱でスリッパにはきかえるととりあえず校長室に向かって泳ぎはじめる。そういえば、教頭先生のお部屋って学校にない気がするけど教頭先生って一体どこにいるのかしら。もしかしたらお部屋がないからいつも学校の中をウロウロしているのかな。
そんなことを考えながらふと中庭に目を向けると、そこには大きなドラゴンがピタリとも動かずに、じっと私を見下ろしていた。
銀色のドラゴンがいきなり目の前にあらわれて、私はペタンとその場に座り込んでしまう。
細長い銀色の体に青いまだら模様、そして炎のように赤いたてがみと長いおヒゲのドラゴンは、私の目の前でゆらゆらとゆれながら私の顔をじっとのぞきこんでいた。
食べられる!
私が体をまるめてガタガタとふるえていると、ドラゴンはカクカクとまっすぐ下に泳いでいき、できるだけ体をかがめてパクパクと口を動かしはじめた。
「……どうやら君も、らでん君のようだね」
「あ、あなたはだあれ……?」
「僕はここ、緋珊瑚第三高等学校の教頭先生だよ。人間たちにはリュウグウノツカイ、なんてシャレた名前で呼ばれたりしているんだけどね」
リュウグウノツカイはそう言って少しじまんげにヒゲを動かした。リュウって名前に入っているのだからやっぱりドラゴンの仲間なんだわ。だけど教頭先生っていうくらいだからきっと物知りなはず……。
私はずっと気になっていたことをリュウグウノツカイに勇気をだしてたずねてみることにした。
「ねえ、ここは一体どこなの? どうして私の他に人間が誰もいなくなっちゃったの?」
「その説明は難しいなぁ。なんせみんな脳みそが小さいからなかなか研究がはかどっていないのです。だけど、一つだけ確かなことはらでん君以外の人間がいなくなったんじゃなくて、らでん君がいなくなったんだってことかな」
「私が、いなくなった……?」
「らでん君に顔も名前もそっくりな、らでん姫というお姫様がこの世界にはいらっしゃるのですが、困ったことにたまにこうやって人間をこの世界に誘ってしまうのです。ですが、あなたは少々事情が異なるようです。その艶のある長い黒髪と漆黒の瞳、そしてその特徴的ならでんという名前。きっとあなたは……。いや、想像だけで決めつけるのはよくないですな。帰る方法をお教えましょう。らでん姫は魔法が使えるとはいえまだまだ未熟、らでん君に強い意志があればきっと元の世界に戻れるはずです」
「強い、いし……?」
「らでん君が心の底から元の世界に帰りたいと大きな声で叫ぶのです。そうすればきっと、らでん君は元の世界に帰ることができます」
大きな、声……。
『遠波さん、どうしてあなたは大きい声で歌わないの?』
楽しくなって忘れかけていた先生の氷のように冷たい言葉は、私ののどもとをギュッとしめつけて離さない。すると私ののどは焼けたように熱くなって、まるで大きな声を出せる気がしなくなってしまった。
「出せないよ……。私には、大きな声なんてぜったいに出せない……」
リュウグウノツカイはまんまるな目で私の顔をじーっとのぞきこむと、少し残念そうにヒゲを鳴らした。
「……困りましたな。非常に申し上げにくいのですが、らでん君がこの世界にいるのは色々と都合が悪いのです。僕はらでん姫がいなくなったと皆に伝えなきゃいけないのですが、らでん姫にそっくりならでん君がこの世界にいると僕の頭がおかしくなったと笑われてしまう」
「そっか。それはそうだね。ごめんなさい……」
「だからこういった提案はどうでしょう。らでん君が大きな声を出せるようになるまで深海図書館で過ごすというのは。あそこなら誰も行かないし、らでん君もきっと退屈しないだろう。何せあそこには全てが揃っているからね」
「深海、図書館……?」
リュウグウノツカイはテキパキとヒゲを動かし、私にも分かる簡単な地図を作ってくれた。
私はリュウグウノツカイにお礼をいうと、その地図をなんども見ながらどんどん海の底へと向かって泳ぎ続ける。お魚さんたちの話し声が聞こえなくなってからずいぶんたったころに、それは私の目の前にとつぜんあらわれた。
お魚さんたちが誰もいない、海の底。そこに、絵本に出てくるようなりっぱなお城が半分うまっている。
私はなんどもそのへんてこなお城をグルグルとまわり、ようやく入り口を発見する。その扉は私ひとりでは開けることはむずかしかったけれど、何度も何度も扉をひっぱると少しずつ入り口が開いていくのがわかった。
そしてついに入り口が開くと、お城の中はどうやら水が入っていないようで、私はひさしぶりの体の重さにたおれそうになりながらゆっくりとお城の中に進んでいく。
そこには、リュウグウノツカイのいうとおり、すべてがそろっていた。
「ここが、深海図書館……」
私の大好きなあのマンガや、ママの好きなあの小説。パパがママにあきれられるほどくりかえし見ていた映画だってあるし、古くなって捨ててしまったあの絵本や、まだ子供だからって見せてもらえなかったあのアニメのDVD、そのすべてがそこにはあった。
私は見たかったものを両手いっぱいにかかえてひんやりとしたソファにすわる。
私、ずっとここにいたい! 心の底からそう思った。
あれから一体どれくらいの時間が流れたのだろう。私が見たかったものはほとんど見終わってしまい、フワフワとしていた私の頭は少しずつ冷めてきて、自分の今の状況をゆっくりと考えられるようになってきていた。
物語にはいつだって終わりがやって来る。だけど私がこの世界に迷いこんだのがひとつの物語なのだとしたら、きっとまだまだ終わりはやって来ない。それどころか、ゴールからスタートに向かってずっと走り続けているような、そんな状況だ。
そして、私は図書館の中を探し回ってほこりをかぶったお魚図鑑を見つけていた。とても大きな図鑑を1枚ずつめくって、絶対に見落とさないようにあのお魚を探し続ける。
そして、見つけた。
リュウグウノツカイ。その名前はもちろんあの有名な昔話の浦島太郎に出てくる竜宮城から取られたものだった。
だったら。だったらもしかしてこの図書館が、このお城が竜宮城だなんてことは……。浦島太郎の終わりは私だって知っている有名なものだ。太郎が竜宮城で遊んでいるあいだに地上ではたくさんの時間が流れていて、太郎は頼れる人間もおらずひとりぼっちをまぎらわせるために乙姫様からもらった玉手箱を開けるとおじいちゃんになってしまうという、とても悲しい物語だ。
私は、ぐるっとこの深海図書館を見わたした。
ここには、すべてがそろっている。
だけど私はその全てを見ることなんか絶対にできなくて、だってテレビだけでもたくさんの番組が毎日流れているのにマンガやアニメ、ドラマに小説だって見たいものがたくさんあって、それこそ動画なんて星の数ほどあるのだから。
きっと、このままこの深海図書館にいたら私はどんどん賢くなっていくのだろう。
だけど、それは結局私が生きていく上で手に入れる感動を先に読んでいるだけにすぎなくて、生きるために読んでいるはずの小説が、いつのまにか小説を読むために生きるようになってしまっていた。
元の世界に帰りたい。そして、せっかく手に入れた感動をパパとママと、友だちと、ちょっぴり怖いけど先生にだって伝えたい。心の底からそう思った。
だから私は選ばなくちゃならない。何かを選んだ代わりに別の何かを捨てなければならないとしても。このままひとりぼっちで死んでいくくらいならちょっとくらいの無理を私の体にお願いしたって許されるはず。
「帰りたい、帰りたいよ……。私、元の世界に帰りたい……!」
だれも聞いていなくてよかった。初めて出した私の大きな声はふるえていて、かっこわるくて誰にも聞かせられたものじゃなかったけど、それでも、私は大きな声を出すことができた。あとは本当にこれで帰ることができるのかだけど……。
遠くの方から、私の声によく似た、だけどしっかりとした力強さのある歌声が聞こえた気がした。
……私も、あんなふうに歌えたらいいのになあ。
そんなことを考えていたら、いつのまにか目の前に現れた2匹のクラゲたちがぷくっと息を吹きかけると私の体は大きな泡に包まれていて、そしてその泡は深海図書館の天井をつきやぶって一気に水面へと浮き上がった。
そのまま私の家や学校すらも見えなくなるほど浮き上がり続けると、やがてもう一度別の水面へと浮き上がる。そしてそういえば太陽を見るのは久しぶりだなあと思った瞬間、私の目の前に見たこともない大きな船がゆっくりと現れた。
そしてその瞬間、私の体をまとっていた泡はパチンとはじけた。
この作品の表紙に使わせて頂いたイラストについては、緑青海侖さんのこちらの記事をご確認ください。
小説に即したイラストを描いて頂いたわけではなく、あくまでインスピレーションを受けお借りしたイラストのため、表紙に関しての質問はこちらからはお答えすることができません。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
【追記】
緑青さんとのコラボ第2弾『アシッドレイン・ランデヴュー』を投稿しました。こちらも併せてお読み頂けると幸いです。