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「天平仏の四番バッター、東博へ襲来!」 - 仁和寺と御室派のみほとけ展感想(前編)

★上野・東博特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」レビュー
★奈良時代の至宝中の至宝の千手観音像が現在公開中!
★空海の「三十帖冊子」が仁和寺にある理由は……

 こんにちは。きのこかたけのこかで言えば圧倒的きのこ。覇道を往くほうの波子です。
先日、上野の東京国立博物館・平成館で開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ展」に行ってきました。

公式サイト:特別展「仁和寺と御室派のみほとけ展」http://ninnaji2018.com/

 突然ですが、みなさんは突如として「仏像を見たい」と漠然と思い立った経験はありますか。あるかもしれないし、生まれてこの方一度もない、という方もいらっしゃるかもしれませんが、私はつい数日前にありました。

大事な会合に行くのに財布を忘れ、道をダッシュする中で小銭をぼろぼろとパンくずのように落とし、もはや人生どうでも飯田橋と乗り込んだ中央線の方向を見事に間違い、この電車どころか私の人生はどこに行くのだろうと、途方に暮れつつ車内広告を見上げたときです。そこには世にも美しい御仏のお顔がありました。それが仁和寺展との出会いです。

 というわけで、やってきました。東京国立博物館平成館で開催中の「仁和寺と御室派(おむろは)のみほとけ展」。仁和寺は平安前期に建立された真言宗の寺院であり、桜が美しいことで非常に有名です。徒然草の一節で名前だけは、という方もいらっしゃるかもしれません。私もそんなようなものです。 

 そして御室派というのはその仁和寺の流れを汲む真言宗の一派(実のところ、形成されたのは戦後なのですが)のことをさします。この展覧会では仁和寺の所蔵する書・仏像・仏画などなどのほかに、その末寺にあたる御室派の寺院が所蔵する、かずかずの「秘仏」にスポットライトが当てられています。

本日の記事は前編。後期公開の目玉である葛井寺千手観音像と、展覧会を通して展示されている国宝「三十帖冊子」についてお話しします。

1. 2/14~公開中 葛井寺『千手観音像』の衝撃
 大阪府にある葛井寺(ふじいでら)。名前のとおり美しい藤棚で有名なお寺だそうなのですが、なんとこの展覧会には、お寺でも毎月18日しか開帳なさらないという『千手観音像』(奈良・8世紀・脱活乾漆造・国宝)がお出ましになっています。かなりでかい。
 聖武天皇発願・行基開眼・最古の千手観音像・腕の数は千四十一本(!)という、まさに国内の千手観音像の四番バッターとでもいうべき本作。通常千手観音像の手というのは、一本がざっくり二十五本分の手を担当していることになっておりまして、だいたい四十本程度まで省略して表すことが可能です。しかし、こちらのお像はこの最古の千手観音だというのにきっちり千本以上ついてます。ついているのです。
 後述の脱活乾漆の技法が、ただでさえものすごく手間と労力と予算がかかることを考え合わせると、企画の時点で常識外れ。あの大仏を作ろうと思った聖武天皇なればこそ完成させられた、天平の華というべき傑作です。
 手の表情、阿修羅像などを思わせる精悍な体つき、天衣や衣紋の美しさは例えようもありませんが、話し始めると一時間くらいかかりそうなので、お顔の美しさの話をします。
 展示中では類似の作例として、東大寺法華堂の日光・月光菩薩像が挙げられていますが、距離やライティングのせいかもう少し穏やかな印象を受けました。
 しかし東大寺法華堂といえば不空羂索観音菩薩像が有名ですが、あれも美しいですね。私の推し仏です。2011年に東大寺ミュージアムに仮安置されていた際、本体と宝冠が別々に展示されていたのにはおどろきました。

(菩薩というのは如来に至る一歩前の段階なので、たいてい富貴な王侯貴族のような見た目をしており、ぜんたいを宝冠や瓔珞(ようらく・首飾り)などで荘厳(しょうごん)していることが多いです。あの不空羂索観音はとくに荘厳が美しいですね。)

宝冠には化仏(菩薩が如来へと変じることを約束した姿)や鏡がのり、翡翠・琥珀・水晶・真珠・ガラスなど、およそ当時の日本にあったもっとも美しい石たち(玉や珠といったほうが正確でしょうか)がちりばめられている姿を間近にみることができたのは、当時仏像にぜんぜん詳しくなかった私にとっても衝撃でした。

……と、脱線しすぎてしまいました。話を葛井寺の千手観音に戻します。

 天平期の菩薩像はとにかく中性的で美しい面立ちのものが多いですが、なかでもこの千手観音像は、奈良時代にしてすでに幽玄の境地に達したといった趣のある、ある種超越的なまでの美しさがあります。
 ぼかされたやわらかい眉の稜線、高くほそめの鼻、切れ長でやや物憂げな半眼、肉のつきすぎない頬、小さくぽってりとした唇……と、現代でも通用する美人の要素をすべて備えているのが、どの角度から見ても美しいと感じる理由かもしれませんね。
 ただでさえ情報量の多い千手観音像を、360度ぐるぐると見られる希有な機会です。鑑賞だけで三十分はかかりますので、是非時間には余裕をもって。

2.イマジナリー空海と『三十帖冊子』

 さて、次の目玉は『三十帖冊子』。真言密教を開いた空海が、唐から持ち帰ってきた、仏教の奥義を記した三十帖の書でして、日本の真言密教において最も重要な文物のひとつであることは言うまでもありません。こちらも国宝です。唐の書がそのまま伝わる部分と、空海が書き写して持ち帰った部分がありますが、今回見られたのは空海の自筆の方でした。

 ほかにも「空海の持物と伝わる檀像(を再現した模刻)」などなど、展示前半は空海ゆかりの品が盛りだくさんです。「ここは空海さんのいたお寺なんだね」といった声もちらほら聞こえましたが、(じつはさまざまな事情があるのです……)

 空海本人が京都に賜ったのは東寺で、新幹線から見えるあの五重塔と、道内の立体曼荼羅が非常に有名ですね。東寺は空海が道場を構えた場所でもあり、『三十帖冊子』も本来はそちらが所蔵していました。

 しかし。

 その後、同じ真言宗に深く傾倒し、仁和寺を建立することにした醍醐天皇が、仁和寺のために『三十帖冊子』を無期限で借り受けたのです。醍醐天皇は美しい蒔絵箱(これも展示されています)を作らせて冊子をおさめ、仁和寺に収蔵。気がついたら1000年が経っていたという、大変なスケール感のある事態が現在まで続いています。返却する際にツタヤの延滞システムを適用したら一体どれほどの額が動くのか、かなり興味があります。

 私は書にはまったく造詣の深くない人間でして、空海の書を見ても「空海の書だ!!!!」という身も蓋もない感想が出てきてしまうのですが、本で読むばかりであった空海の生きた足跡を目前にすると、やはり興奮とときめきで息が止まります。閉館間際が見やすいので、かぶりつきでご覧になりたい方は四時半以降が狙い目です。

字数が足りなくなってしまったので、続きは後編に。この三十帖冊子をおさめる「法相華迦陵頻伽蒔絵箱」や、展示されていたかずかずの秘仏について書く予定です。