サークル活動と部活動の違い
駒澤大学でサークル団体の代表を2年6か月務めてきた筆者は、4年間の学部生活・2年間の大学院生活の中で、サークル活動の課題を感じたので、述べていきたいと思う。
サークル活動は、大学によって定義の差はあるが教員・指導者の指揮下ではなく、学生の主体的な運営の中で活動を行うものである。すなわち、大人は関与せず、学生の力で組織を運営していく特性がある。きわめて、日本社会の中ではレアな組織形態といえる。また、本来もっとも楽しめる活動形態でもあるといえる。これは、大人の意向(コロナ自粛含めて)に左右されない、若者のみの集団であるからである。
しかし、大学生はサークル活動に順応できているのだろうか?私見を思い切っていうのであれば、難しい場面も存在した。
これは、高校までの部活動と全く運営が異なるからである。もちろん、運動系サークルでは大会を目指して練習することもあるが、文化系サークルなどは内輪で完結するものも多く、私のサークルも校舎の例であった。このような集団形態の場合、多くの一年生は戸惑ってしまう例もある。また、サークル活動に「強制」という文言は存在しないが、よく私に「すみません、欠席します」と連絡してくる一年生が多かったのに驚いた。役職者であれ、参加を強制することはない私の方針からすると、全く理解不能な発言であった。
今にして思うと、サークル活動も欠席することはイレギュラーなことであり、出席が前提という価値観が抜けなかったのだろう。
このように、部活動の亡霊をサークル活動に持ち込んでしまう学生、サークル活動の良さが伝わらない学生も多く、サークル活動とは何かということを伝えられるような代表・役職者でありたいと思ったきっかけとなった。
日本の学校教育に自治の精神といった概念は存在しないが、サークル活動で求められるのはまさしく自治の精神・構成員としての自覚である。サークル団体は小さな社会であり、その組織を動かすのは役職者のみでなく、構成員一人一人の主体的な意思であることはいうまでもないだろう。そのような精神がないと、サークルそのものが立ち行かなくなってしまう。
では、代表としてどのような運営を心掛けたのか。
まず、「幹部」という呼称を使用しなかった。サークルの「幹」は常に構成員である。役員ではない。また、「来ていただく」という気持ちを常に持ち続けた。もちろん、構成員と役職者は常に対等であり、優劣関係は存在しないが、活動は皆で行うものであり来ていただかなくては活動となりえない。その意識を忘れてはいけないし、人は権限を持つとえらくなったと勘違いしがちなので、「来ていただく」くらいがふさわしい心がけなのではないだろうか。
では、最後に違いについて述べていく。最大の違いは、主体性の有無である。そこの違いを理解したうえで大学に入学してほしいのは本音である。しかし、前述したように高校までの教育課程でその主体性を身につけることは困難であることは全く否定しないので大学生になってサークル活動の中で身に着けてくださったら幸いである。