百人一首についての思い その38

 三十七番歌 
「白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける」 
 文屋朝康(あさやす)
 儚い白露に秋風が繰り返し吹き付ける秋の野で、紐で留めていなかった玉が散ってしまいました。
 
 When the wind gusts
 over the autumn fields
 whit dewdrops
 lies strewn about
 like scattered pearls.
 
 この文室朝康という人は、小野小町が惚れていた文室康秀の子供である。
この歌は『後撰集』に収録されているが、『古今集』の225番には「秋の野に置く白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ」という歌が収録されている。
 白露を玉に譬えるのはどちらの歌も同じだが、百人一首では玉は「散る」が、『古今集』では「つらぬく」ことで飛ばないようにするという違いがある。
 
 さて、その「玉」とは何だろうか。本人にとって何か大変大切なものであろう。だが、恋なら「失う」とするだろう。なくした恋を「散る」とは言わない。「散る」とは死んだことを意味するのだろう。「掌中の玉」という言い方をするが、玉は一番大切なものである。
 
 だとすると、恋人の可能性が最も高い。だが、妻とか子供の可能性もある。小名木さんは、白露のような清浄な子供、つまり、可愛らしい娘だったのではないかと言われる。私にも、そう思える。
 子を思う親の心は、いつの世も変わらない。私自身も人の親になって、ようやく自分の父母がいかに私のことを愛してくれたのかということに気がついた。
 支那で作られた「仏説父母恩重経」は、涙なしには読めない。また、『詩経』にある蓼莪(りくが)の詩「哀哀たる父母、我を生みて劬労す」は、子が親に対する真心を唱ったものである。この詩もまた涙なしには読めない。
 
 もうひとつ。和泉式部はこんな歌を詠んだ。
「とどめおきて誰をあはれと思ふらん子はまさるらん子はまさりけり」
 子と母をこの世に残しておいて、死んだ小式部内侍はどちらを不憫に思っているだろうか。子の方がまさるであろう。そう、自分も親よりも子への愛情が深かったのだよ。
 
 この歌は和泉式部の娘である小式部内侍が、娘(和泉式部の孫)を遺して他界したときの歌である。
 小式部内侍は、「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」という誰もがよく知っている歌を詠んだ人である。
 愛する娘に先立たれて和泉式部は辛かっただろう。私がこの歌を読んで思ったことは、和泉式部の技巧の素晴らしさであった。和泉式部は、「子はまさるらん」で推量を表した。推量は、日本語文法ではモダリティ(自分の気持ち、判断などを表す)のひとつである。古文文法では「らむ」は現在の推量を表す。
 
『古文解釈のための国文法』(松尾聰著 ちくま学芸文庫)によれば、「む」はまだ現実になっていない事実、現象、状態について、そのまさにあらわれるであろう事を想像する。しかし「らむ」はある事実、現象、状態が現在現実になって存在する事を推量する意を表す、とある。
「花咲かむ」という例では、まだ現実に現れていない「花咲く」という事実が、まさに現れるだろうと想像するのが「む」の意である。
 一方、「花咲くらむ」では、「花咲く」という事実が、もし存在するとすれば、それはすでに現実になって存在しているのである。ただ、それが果たして存在しているのかどうかが確実ではないので、そのことを「らむ」と推量するのだ。「花咲く」という史実の存在に若干の疑惑を持ちながら、たぶん存在するのだと推量するのが「らむ」の意である。
 そして、「子はまさりけり」で詠嘆的に回想を述べた。「けり」は現代語では、「今思えば~だった(なあ)」とか、「気がついたら~だった」というようになる。
 このふたつの違いを微妙に使い分けて一首の歌に詠み込むとは、やはり歌の名手は違う。
 もしも、小名木さんの推測の通りに文室朝康が可愛い盛りの娘を失ったのであれば、なんともこころが痛む話である。しかし、痛みが昇華してこのような美しい歌が生まれたとも考えられる。
 

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