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ばらばらの三人の句

 橋本多佳子

 月光にいのち死にゆくひとと寝る 

 この句は夫の豊次郎の最期を看取ったときの句だそうだ。多佳子の夫は非常に裕福だったそうで、多佳子は恵まれた生活をしていた。夫が今の北九州市に新築した櫓山荘(ろざんそう)という所は、大正中期から昭和初期にかけて杉田久女や橋本多佳子などが活躍した文化サロンであった。今も北九州にその跡が公園になっているそうだ。

 息が絶えそうな夫に添い寝をする多佳子の身に月光が降り注ぐ。添い寝をしながら、多佳子は何を思っていたのだろう。
 私は父の死に目には会えなかったが、母の最期は看取った。棺に横たわり何もものを言わなくなった母の顔を見ながら、穏やかな死に顔に安心した。あんなにも穏やかな顔は、母が生きている間に見たことはなかった。いつもあんなに穏やかな顔でいてくれたら、もっともっと長く生きてもらいたかったな、などといろいろ考えた。
 多佳子もきっと夫のことをいろいろと偲びながら、月光を身に纏っていたに違いない。

 中村草田男
 蟾蜍長子家去る由もなし 

 蟾蜍とは「ひきがえる」のことである。ヒキガエルという生き物は、一度住み着くと住む場所を変えないという。それで、この句の意味は、「住まいを変えぬひきがえるのように、長子である私が家を去る理由はない」ということになる。

 長子とは総領であり、責任を背負う者である。家とは住宅であり、草田男が生きていく俳句の世界である。つまり、責任感を背負って自分は俳句の世界を生きるのであり、その住む場所(活躍の場である俳句の世界)をかえることはない、という決意表明であろう。

 久保田万太郎

 わが胸にすむ人ひとり冬の梅

 この句は万太郎が58歳前後の頃に詠んだ句だという。つまり、今はもう逢うことができない人のことを指している、万太郎は女の出入りが激しかったというから、きっと昔なじみの女のひとりなのだろう。
 戸板康二説ではこの人は吉原の名妓、西村あいだったという。彼女は昭和二十年三月十日の東京大空襲の夜焼死したらしい。また林彦三郎説では、吉原の名妓で、鎌倉の旅館香風園を手伝っていた徳子だという。「冬の梅」は華やかさもまだないが、寒さを堪えて咲く梅が清冽、凛としている。この思い出だけは誰にも立ち入らせたくないのである。そのような解説をしている人もいる。だが、そんな解説は私にはどうでもいいし、事実がどうだったかには興味がない。

 しかし、万太郎の女出入りの激しさなどを知らず、いきなりこの句を読んだらどのような見解も可能である。
 もしかすると、比較的若くして亡くなってしまった妻を思う句だとも解釈できる。あるいは、何もかもなくして人生に嫌気がさした、うらぶれた男が、母親を思い出しているとも解釈可能だ。
 そのほかにもいろいろな解釈が可能な句であるだけに、万人の胸を打つ句のひとつだと思うのだが、その解釈は人それぞれでよいのではないだろうか。私はそう思う。

 

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