西行の足跡 その20

18「山賤(やまがつ)の片岡かけて占むる庵のさかひに見ゆる玉の小柳」  
 山家集上・春・52
 山人が片岡の野を領有する印に立てた小柳の枝が、玉を貫いた糸のように美しい。若い柳を自分の領地の境界に植えた。わざわざ自分の領地だと誇示するいじましさを、しかし、西行は否定しているわけではない。ただ、美しい柳を見て、美しいなあと目を奪われているだけのことだ。   
 
 そして、このような光景を見いだした歌人は西行外にもいた。
「あたらしや賤(しづ)の柴垣かきつくる便りに立てる玉の緒柳」 
 月詣・源仲正
 ああもったいない。山人が粗末な柴垣を作る。その垣根の支柱にこともあろうに美しい玉柳を使うなんて。
 
「山賤の道に囲う畦垣(あぜがき)にいとほしげなる玉柳かな」 
 待賢門院堀河集
 山人が畦道に作りっぱなしにした垣根の支柱は美しい柳である。なんだか気の毒だ。
 
「山賤の園生(そのふ)に囲ふ垣柴の絶え間に見える青柳の糸」 
 待賢門院堀河集
 山人が垣根で自分の庭を囲んでいる。その垣根の柴の間から青柳が透けて見える。
 
 そのような歌があったので、西行は芝垣の支柱に「玉の緒柳」が使われていることを知っていただろう。それで、山人の肩を持つかのように山人への共感を表した。
 
 さて、『徒然草』の第十一段に、山里で蜜柑の木を見た話がある。『徒然草』の作者にとっては、理想の住まい、庵だと思えた。庭に大きな柑子の木があったのだが、周囲を厳重に囲ってあった。それを見て、この木がなければ佳かったのにと思い直したとある。兼好は、理想の庵だと思ったが、その庵主を許せなかった。
 だが、西行は領地の境界に若い柳を立てた山人を否定はしない。したり顔で欲望を否定したりはしないのだ。それは、人の性格、生き方、価値観、人生観から来る違いなのだろう。どちらが正しいとか間違っているという問題ではない。
 自分の理想と違うからということで庵主を許さない兼好は狭量である。私は『徒然草』を高く評価していて、老人が読むべき本の中の一冊だと思っているが、兼好のこの度量のなさは受け入れられない。この点に関しては、私は吉田兼好よりも西行のほうに近い考えだ。 
 

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