西行の足跡 その42

幼少の条
 
40「うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の声に驚く夏の昼臥し」 
 聞書集・165
 うない髪の幼子が気まぐれにならす麦笛の声に、はっと目が覚めた。私は夏の昼寝をしていたようだ。
 
「昔かな炒粉(いりこ)かけとかせしことよ衵(あこめ)の袖に玉襷して」  
 聞書集・166
 もう昔のことだ。「炒り粉かけ」とかしたね。女の子の下着のような「あこめの袖」を着て、きれいな襷を掛けたりして。
 
「竹馬を杖にも今日は頼むかな童遊びを思ひ出つつ」聞書集・167
「竹馬」の竹を今では杖に頼るようになった。ずいぶん年を取ったものだ。子供の頃には竹馬に乗って走り回ったことを思い出す。
 
 これらの歌は、嵯峨に住んでいたときに「たはぶれ歌」としほかの人たちと一緒に詠んだ一連の歌で、全部で十三首ある。老境とか自在な境地というか、夢とうつつのあわいさの世界というか、そのような世界である。ただし、支那の思想家莊周の「胡蝶の夢」とは違って「万物のきわまりない流転」とい難しい概念に導くという意図は全くない。本当にただの「たはぶれ歌」である。
「炒粉かけ」とは麦焦がしや香煎あるいは、はったい粉とも言う。衵は男、女、童女なども使った。ここでは、母親の真似をしたコスプレのようなもので、一種の「ままごと」遊びだったのだろう。
 
「恋しきを戯れられしそのかみのいはけなかりし折の心は」 聞書集・174
 恋しい思いをはぐらかされたあのときはせつなかった。まだ子供だっただけに、思い出すたびに胸が熱くなる。 
 
「蓴(ぬなわ)這ふ池に沈める立石の立てたることもなき水際かな」 
 聞書集・177
 蓴菜が這うように繁茂した池に、立石が倒れて沈んでいる。汀に立ってそれを眺めていると、取り立てていうほどもない我が人生だったと思われてくる。
 
 西行のような大歌人でも、幼少期から老境に入った時点まで振り返れば、このように「何もしてこなかった」と感じているのだから、平凡な人生しか歩んでこなかった私みたいな一般人には、ますますこのような思いを強くるのは仕方がないことだろうと思う。
 

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