仙厓義梵
気に入らぬ風もあろうに柳かな
仙厓義梵は江戸時代の臨済宗の坊主である。私はこの人がとても好きだ。禅僧だけど一休の激しさはない。道元の厳しさもない。しかし、この人はやはり傑物には違いない。凡人に対して大変温かい目を以て接した人である。人に対する温かい目は、やはり元来の性格なのだろう。
美濃にいた頃、藩の権力闘争を皮肉って、こう詠んだ。
「よかろうと思う家老が悪かろう もとの家老がやはりよかろう」
「から傘を広げてみれば天が下、たとえ降るとも蓑はたのまじ」
蓑と美濃とを掛けている。頓智に富んでいるのだ。権力というものの胡散臭さが嫌いだったのであろうと思う。
この人のこの句には、意味としては同じであっても、「ならぬ堪忍、するが堪忍」という眦を決して言うような雰囲気はない。どこまでも柔らかくさらりと受け止めて、しかも自分は傷つかないようなあり方である。人としては最高の生き方でもあろう。
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