『和歌史』なぜ千年を越えて続いたか 渡部泰明 角川選書出版 その8

『源氏物語』の中の和歌
 
 さて、『源氏物語』には795首もの和歌が含まれているという。渡辺教授は、『源氏物語』が与えた影響は、『古今集』に匹敵するほどに大きいと言う。『源氏物語』の中でも「須磨巻」は最も多く和歌が収められているので、「須磨巻」の中の和歌に注目する。
 
 松島のあまの苫屋もいかならむ須磨の浦人しほたるるころ 光源氏
 松島の海人(あま)(尼)の苫葺きの小屋はいかがでしょう。須磨の浦人は泣き濡れています。
 
 しほたるることをやくにて松島に年ふるあまも嘆きをぞつむ 藤壺
 泣き濡れことばかりをお役目にして、松島の老いた海人(尼)も嘆きを重ねています。
 
「しほ」、「やく」(役・焼く)、「なげき」(嘆き・投げ木)は、製塩に関わる縁語である。同じような縁語を駆使した例として紫式部と和泉式部の二つの歌を取り上げる。
 
 四方の海に塩焼く海人の心からやくとはかかるなげきをや積む 
 紫式部集・三○
 方々の海では塩を焼く海人は、自ら進んでこれほどの嘆きを重ねているのでしょうか。
 
 藻塩草やくとかきつむ海人ならで所おほかるふみの浦哉 
 和泉式部集・五四七
 藻塩草をかき集めて焼く役目の海人でもないのに、あちこちに手紙を書いていますね。
 
 こりずまの浦のみるめのゆかしきを塩焼く海人やいかが思はん 光源氏
 性懲りもなくあなたに逢いたいと思っているが、そんな私を須磨の浦で塩を焼いている海人はどうおもうだろうか。
 
 浦にたく海人だにつつむ恋なればくゆる煙よ行方ぞなき 
 朧月夜(尚侍(かん)の君)
 浦で塩を焼いている海人でさえ、人目を憚っている恋なのですから、後悔してくすぶる胸の煙は晴らしようもありません。
 
 ここでは「くゆる(燻る)・(悔ゆ)」という掛詞を駆使した。その効果として、須磨の海人の製塩にちなんだ煙を、自分のことに転じることができた。その影響は次の歌にも見られる。
 
 海人の浦にかき厚めたる藻塩草くゆる煙はゆくかたもなし 
 大弐高遠集・二三○
 海人が浦でかき集めた藻塩草を焼く煙は晴らしようがない。私の詠草には後悔で晴らしようもない心が込められている。
 
 うきめ刈る伊勢をの海人を思ひやれもしほてるてふ須磨の浦にて 
 六条御息所
 浮き海布を刈り、つらい目を見ている伊勢の海人(私)をおもいやってください。泣き濡れているという須磨の浦から。

 上より、間遠にあれやと聞こえ給へる御返に
 馴れゆけばうきめ刈ればや須磨の海人の塩焼き衣間遠なるらん 
 冷泉家時雨亭文庫本斎宮女御集・八四
 
 伊勢島や潮干の潟にあさりてもいふかひなきはわが身なりけり 
 六条御息所
 伊勢島の干潟で探し回っても、貝もなければ生き甲斐もない。そんな私なのです。
 
「貝」と「甲斐」の掛詞が活性化して生き生きとしている。和泉式部もまた同じような表現をした。
 
 潮の間に四方の浦々求むれど今はわが身のいふかひもなし 
 和泉式部集・二七五
 
 恋わびて泣く音にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらん 光源氏
 恋しさに耐えかねた泣き声に紛れ聞こえる浦波は、恋い慕う方角から風が吹いてくるからだろうか。
 
 泣くのは誰なのか。光源氏なのか、それとも都人なのか。そのような解釈があってもおかしくない例もある。
 
 波たたば起きの玉藻も寄りくべく思ふかたより風は吹かなん 
 内閣文庫本躬恒集・二七四
 
 歌は作者の心情を表すものであり、理屈ではない。まず、作者が思う。そして、波音なのか泣き声なのか分からなくなる。言葉が波紋のように広がって、展開していく。藤原定家は、上記の歌を基にして、次の歌を詠んだ。
 
 神に吹けさぞな旅寝の夢も見じ思ふ方より通ふ浦風 
 新古今集・羈旅・九八○
 
 さて、ここで主体の揺らぎという現象について、渡辺教授の説を取り上げよう。
 
 引用ここから
 先ほど取り上げた「恋ひわびて」の歌では、作者なのか、都の人々なのか、解釈の揺れが生じていた。これは、物語に登場した素材を、我がことによそえようと強く引き寄せたあまりに、さまざまな含みが生まれたのだろう。物語の文章がそのような詩的な言葉の跳躍を促したといってよさそうである。
 引用ここまで
 
 次の歌でも主体の揺らぎが見られる。
 
 友千鳥もろ声になく暁はひとり寝覚めの床もたのもし 光源氏
 友千鳥が一緒に鳴いているのを聞くと、暁の床に独り眼を覚ましていても心強い。
 
 この歌に出てくる「友千鳥」という言葉の解釈を巡って、渡辺教授は長い解説をされているのだが、専門家ではない私にはあまり拘らないでもいいことなので、省略する。
 
 雁の歌の唱和
 
 初雁は恋しき人のつらなれや足袋の空飛ぶ声の悲しき 光源氏
 初雁は恋しく思う人の仲間なのか、旅の空を飛ぶ声が悲しい。
 
 雁を恋しい人の「列」(つら)という疑問を呈した。しかし、旅の空にあるのは、自分達のほうなのだ。雁の声が都人の声に重なり、それがいつの間にか我が声になる。悲しみそのものがこうして純化されていく。
 光源氏の歌は、良清(よしきよ)の歌を生んだ。
 
 かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世の友ならねども 良清
 次々と昔のことが思い出される。雁はその時の友ではないのだが。
 
「つらね」と「友」が「雁の縁語になっている。
 
 こころから常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな 民部大輔
 自分から常世を捨てて鳴いている雁を、これまで自分とは無関係だと思っていた。
 
「雲のよそ」とは「無関係の」という意味であり、「雲」が雁の縁語になる。しかし、常世つまり都との隔絶が一層大きくなった感がある。
 
 
 常世出て足袋の空成る雁がねもつらに遅れぬほどぞなぐさむ 前右近将監
 常世を出て旅の空にある雁も、仲間と一緒にいる間は心慰むのだ。
 
「旅の空」と「つら」で光源氏を受け、「つら」は「友」の意なので良清ともつながる。そして、「常世」で民部大輔の歌を受ける。歌の配列と言葉の連携が見事だ。
 
『古今和歌六帖』という書物の第六・「かり」の項目には次のような歌群があるそうだ。そして、題や項目のもとに歌を分類した『古今和歌六帖』は、歌を詠むときの手引きとされたようだ。
 
 
 年ごとに雲路まどはしくる雁は心づからや秋を知るらん
 四三六九・後撰集・秋下・三六五・躬恒
 
 天の原雁ぞとわたる遠山の梢はむべぞ色づきにける 
 四三七○・後撰集・秋下・三六六・よみ人知らず
 
 ふるさとに霞ど分け行く雁は足袋の空にや過ぐらん
 四三七一・拾遺集・春・五六・よみ人知らず
 
 憂きことを思ひつらねて雁がねのなきこそわたれ秋の夜な夜な
 四三七二・古今集・秋上・二一三・躬恒
 
 初雁のはつかに声を聞きしより半空にのみ物を思ふかな
 四三七三・古今集・恋一・四八一・躬恒
 
『古今和歌六帖』のような作歌手引きの書物や『源氏物語』の歌群は、教科書的かつ標準的歌の言葉とのつながりを感じさせたことだろう。
 

いいなと思ったら応援しよう!