百人一首についての思い その7
第六番歌
「鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」 中納言家持
カササギが渡した橋にも、あんなに白く霜が降りているところを見ると、すっかり夜も更けたのだなあ。
How the night deepens.
A ribbon of frost
is stretched across
the bridge of magpie wings
the lovers will cross.
「鵲の渡せる橋」とは、七夕の日、牽牛と織姫を逢わせるために、鵲が翼を連ねて渡したという橋のこと、すなわち天の川のことである。牽牛と織女が出会うのは七夕なので、夏の盛りである。それなのに、なぜ霜が関係するのだろうか。これにはふたつの説があるそうだ。
一つは、「冬の天の川の星々が霜を置いたように冴え冴えと輝いているさまを詠っている」というものである。もう一つは、「宮中の階(きざはし)を天上界の橋に見立てた」というものだ。
さて、大伴家は武人の家系である。家持の詠んだ歌の中に「海行かば水漬く屍山行かば草生す屍大君の辺にこそ死なめかへり見はせじ」というのがある。作曲家の信時潔が、この詞を基に名作「海ゆかば」を作った。大東亜戦争の時には、第二国家として位置づけられた。まるでキリスト教の賛美歌のような美しい音楽だ。
私個人の思いとして、白人が支配する世界から日本と日本国民を守るために、大東亜戦争で散華された英霊に感謝して、この歌を捧げたい。
閑話休題。
さて、家持のこの歌は、白村江の戦いの間もない頃に作られたそうだ。貴族であり、武人である家持は、率先垂範して全身全霊で国を守るために、民を守るために必死で戦っていたのだ。だから、作者名は個人としての大伴家持ではなく、部門の指揮官である中納言家持となっている。