百人一首についての思い その73
第七十二番歌
「音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ」
祐子(ゆうし)内親王家紀伊
有名な小牛高師の浜の波しぶきが、かからないようにしましょう。袖が濡れると困りますから。(噂に高いあなたのお誘いは心にかけますまい。あとで袖をぬらすといけませんから)
I stay well away from Takashi shore,
where the waves, like you,
are famed for being treacherous.
I know if I get too close to either,
my sleeves will end up wet.
『金葉集』の詞書きには「堀川院御時の艶書合(けそうふみあわせ)によめる」とある。艶書合というのは、男性から女性に恋歌を贈り、女性が返歌を詠む。二つの歌の優劣を競う歌合のことである。
この歌は藤原俊忠への返歌であるが、俊忠の歌は次の歌である。
「人しれぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ」
このとき、俊忠は29歳、紀伊は70歳以上の老婆である。恋歌だが、恋人同士であったわけ訳ではない。和歌の応酬で知恵や思いやり、相手を傷付けずにやんわりと躱す方法などを探り合うのである。親子以上に年が離れた二人のやりとりの面白さ、機智にみんなが注目するのである。
なお、紀伊が仕えていた祐子内親王は、第69代後朱雀天皇の内親王である。場所は堀河院の私邸であるので、公的な歌合ではなくて、私的な歌合だった。身分が自分よりも遙かに上の、自分の息子か孫のような男が誘うのに対して、「社交辞令をありがとうございます。でも、本気にして後で泣くようなことがあってはいけないので、本気にしませんよ」というくらいの気持ちで詠んだ歌であろう。
俊忠は身分が高い男盛りの男であり、紀伊は身分が低い老婆である。つまり、ここでは、「身分」、「年齢」、「男女」などの差違を乗り越えて対等に接しているのだ。このような良き伝統があったからこそ、日本文化は長い間継承されてきたのである。私たちは、この有り難さを感謝しなければならない。