もういちど、生まれる。
1年前の2018年3月12日のこと。
わたしは死んで、そしてもういちど生まれた。
こう書くとなんだかオカルトチックだけど、そういう類の話ではない。
あの日、ある場所に行ったことがきっかけで、わたしはじわりじわりと低空飛行を続けてきた苦しい日々から浮上することができた。
ただふっと思い出しただけなのだけど、このことについて今書き残しておくことが重要な気がするから、記憶をたどってみようと思う。
もしよかったら、お付き合いいただるとうれしいです。
◇ ◇ ◇
一年前のこの時期、わたしはとても深いところまで落ちていた。敏感さが度を超して、どうにも生きづらくて苦しくてたまらなかった。そのときの重たい話は、以前noteにまとめたのでお時間があればぜひ。
そんなときに、あるワークショップを勧められた。それは、「死の体験旅行」というものだった。
よくわからないが、18歳以上20名限定ですぐに予約が埋まってしまうくらい人気だということ。なんかちょっと怖い。
「詳しいことは言えないけれど、あきにぜひ行ってほしい」
あまりにそう熱心に勧められるものだから、Peatixでおそるおそる申し込み、インターンの帰りにひとり西武池袋線に乗り込んだのだった。
会場は、椎名町にあるお寺・金剛院 蓮華堂。お寺の一室に案内され、靴と上着を脱いで入ると、長机と椅子が両方の壁際に並んでおり、壁側を向いてぽつぽつと座っている人がいた。不思議な空気感にどきどきしながら、左側の前から2番目の机に着いた。となりには40代くらいのおじさんが座った。
平日の夜19:00からスタートだったこともあり、仕事帰りであろうサラリーマンやOLさんの姿が目立った。たぶんわたしが一番若かったんじゃないかな。そしてみんな、その場でひとり、しんと静かだった。
定刻近くになると、椅子はいっぱいになった。申し込み時に「ワークショップの性質上、10分以上遅れますと入場不可となります」という注意書きがあったけれど、キャンセルも遅刻も見当たらず、みんなこのワークショップに高いモチベーションを持ってきているんだな、と思った記憶がある。
ファシリテーターは、なごみ庵の住職である浦上哲也さん。やわらかな表情と優しい声のお坊さんだ。冒頭にワークショップ全体の説明があり、紙とペンを前にワークショップが始まった。
ここでやったことは、とてもシンプルだ。
「目を閉じてください」という浦上さんの声が聞こえると、部屋の明かりは消えておだやかなBGMが流れはじめる。
暗く静かな世界でわたしたちは癌を宣告され、死ぬまでの時間を追体験していく。だんだんと心身が弱っていき、その過程でひとつ、またひとつと大切なものを捨てていくのだ。
わたしは、始まって3分くらいで涙と鼻水が止まらなくなってしまった。
最初は順調に捨てていけるけれど、そのうちもうこれ以上捨てられない、選べないという瞬間がくる。それでも、捨てないわけにはいかない。捨てなければならない。それが死に向かっていくということだから。
大切なものを捨てたとき、過去の思い出がぶわっと蘇った。大切な人を捨てたとき、胸がぐしゃりとつぶされるような痛みとともに息が苦しくなった。
捨ててよかったんだろうか。このタイミングじゃなかったかもしれない。何であれを先に捨ててしまったんだろう……。自分が大切だと思うものに順番をつけなければならないのって、こんなに苦しいんだなと思った。
最後に残った一枚を自分の目で見たとき、やっぱりそうか、と静かに思った。人生の最期、死ぬ瞬間にそばにいて見守っていてほしい人だった。
最期の時を迎え、呼吸を整えてゆっくりと目をあけたとき、ぶわっと体中に血がめぐってふわふわと不思議な感覚に陥った。文字通り、生きた心地がした。
体験が終わって、近くに座っていた4人で感想を共有した。とても印象的だったのが、ひとりのお姉さんが最後に残したのが「離婚した元旦那さん」だったということ。離婚したときは清々したと思ったし、未練なんて全くなかった。残すつもりなんてなかったのに、なぜか分からないけどどうしても捨てられなかった、と涙で言葉を詰まらせながら教えてくれた。本当に大切なものって、そういうものなのかもしれない。
そのあと、全員で大きな円をつくり、最後に残したものについてひとりずつ話すことに。ここで参加していた人たちの顔を初めてちゃんと見たけれど、20代から50代くらいまでいろんな人がいて、みんなどこか清々しい顔をしていた。体験中の重く苦しい空気からは一変し、ぽかぽかと和やかな空気で満ち溢れていた。
話す順番がまわってきたとき、わたしは辛抱たまらず盛大に号泣してしまった。すると浦上さんをはじめ、いろんな人が「ティッシュ!ティッシュ!」と自分の持っていたポケットティッシュを渡そうとしてくれた。わたしはその優しさに「ごめんなさいい~~~~」と言いながらさらに泣いてしまい、みなさんに笑われた。この空間が、この人たちが、すきだと思った。
お寺からの帰り道、一緒のグループだったふたりのお姉さんと何気なく一緒に電車に乗って帰った。当時わたしはまだ就活生だったから、そんな話もしつつ、3人で今自分のなかにある感情を共有しあった。
「ありがとうございました、お元気で」
池袋駅に到着し、そう手を振ってそれぞれ別々の方向へと歩き出した。この別れの瞬間を、とてもよく覚えている。もう名前もわからないし、きっと二度と会うことはないけれど、このお姉さんたちに出会えてよかったな、と心から思った。同じ日に生まれた、ちょっとした同志みたいで。
◇ ◇ ◇
死の疑似体験を通じて、自分にとっての「生と死」や「本当に大切なものは何か」を見つめなおすこと。このワークショップに参加して、わたしのまわりには、自分が思っている以上に、大切なもので溢れていることに気づかされた。
参加した当時は、なかなか精神的にきていたので、「死にたくないけど消えたい」「自分がいなくなろうが、世界は変わらず回り続ける」「このまま許せないものが増えていくなら生きていたくない」という思いがかなり強かった。今思えば自己本位で恥ずかしいのだけど。(まあ、今でもたまに思う)
でも、死を直前に大切なものや人の存在を改めて認識したとき、「失いたくない」「悲しませたくない」という感情がぶわっと込みあげた。今死んだとして、わたしや世界は困らないけれど、わたしの大切な人たちは悲しむのかもしれないな、と初めて思った。
いろんな人に大切にしてもらっているのに、その自分を、自分自身が大切にしないなんて傲慢だ。ちゃんと返すためにも、生きてその人たちといられる間はできるだけ笑っていたい。そう思った。
◇ ◇ ◇
そこからちょうど一年。
「今日はみなさんの命日であり、誕生日です。」
あの日、浦上さんの言葉にひどく救われた気持ちになった。ちょうど一年たつこのタイミングで思い出すなんて、偶然ができすぎている。でも、あの日の記憶が確実に刻み込まれていたんだろうなあ、きっと。何といってもわたしのもうひとつの誕生日だから。
何も失うものなんかない、と思っていたけど、23年間の人生、気づけば十分すぎるくらい失いたくないものでいっぱいだ。それはとても幸せなことである。
相変わらず悩むし、落ち込むし、たまに消えたくなる。
でもわたしは、たくさん失って死を迎えたあの日を忘れないし、もういちどこの世に生まれた瞬間をまたこうして思い出すのだと思う。1年後も、2年後も。そのたびに背筋を正されて前を向くことができる。
一緒に参加したみなさんは、どうしているだろうか。思いがけず本当に大切なものに気づいてしまったあのお姉さんは、今幸せにしているだろうか。気づかないうちにすれちがっていたりしてね。
この先の人生、自分というものがよくわからなくなったとき、また金剛院を訪れてみようと思う。そして、もし気になった人がいればぜひ少しだけ早めに仕事を終わらせて、行ってみてほしい。きっと、何か見つかるはずだから。
いつも読んでくださってありがとうございます。大好きです。 サポートいただけたら、とてもうれしいです^^ どうか、穏やかで優しい日々が続きますように。