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人付き合いから学ぶ、自分の本質と改善点。

2024年9月16日。
昨日久しぶりに友人とランチをした。美味しいロシア料理を食べながら、気心知れた開放感に心の紐が緩んだ(財布の紐は、緩めても中身がないから何も出ない)。
友人と別れたすぐのタイミングで、ぼんやりと「これはやってしまったのかも」と思い始めた。
言わなくてもいい愚痴&元夫の話を、「そうなんだ」と薄い反応に気が付きながらも話してしまった。
聞いて欲しかったんだね、溜まってたものを。でもよくなかったねー。
歩数が増えるたびにその思いは強くなり、がっくりとうなだれて、自分の爪先と「あーー失敗したー」と月のない曇り空を、交互に見ながら帰宅した。
彼女の大切な時間を奪ってしまったような気がしたのだ。

そんなわけで昨夜の夕食は、暗い部屋の片隅でおちょぼ口でカリカリとじゃがりこを食べ、これまで何度も再生したことのあるDVDを鑑賞しながら、サングリアをちびりと飲んで細々終えた。
脳内では「ひょうきん族」の懺悔室で、神様の出す振りかぶった「×(バツ)」に、頭からバケツの水をかぶってびしょ濡れになる自分が再生された。
(画像をクリックすると動画が見られるはず)


いつもヘラヘラしているので、「いいよねー、気楽で」とか「何かに悩んだことなんてないでしょう」「落ち込むことがなさそう」と今だに言われ続けている。

「幸せそうに見えたから」「一人でいる人を狙った」「悩みがなさそうで羨ましかった」という理由で通り魔に狙われることがあるようだが、私はドンピシャなので刺されないように気を付けたい。
夜の住宅街を犬の散歩で出かけるときは、誰も歩いていない道で突然キッと振り返ったり、真っ直ぐ行くかと思いきや踵を返して今来た道を戻ったり、自宅前に誰かいるときは暫し空を見上げて人がいなくなってから家に入ったり(オートロックではないので)。
私自身が完全なる不審者であることは間違いない。

本日の昼ごはん。
まだまだ日中は夏日だが、
これで今年は作り納めの冷製トマトパスタ。
生のバジルで食べたかったー!
生のハーブとか、青のりとか諸々、
一人暮らしで毎日料理しない人のために、
使い切る自信がないから少量で売って欲しいー!

常夏の透き通るような青い海の前で大勢で笑顔になってジャンプしたり(髪は金髪でお願いします)、バーベキューをしながら軍手のままピースをして写真に収まるような、そんなピカピカの明るさとは無縁だ。

だから時々そんなところを「気取っている」とか「強そう」と言われる。
このnoteを振り返ってもわかる、滲み出る根暗感(今は根暗と言わないのか。インキャ?)がその正体なのだが。
それが私なのだっ!と普段は開き直って生きている。でも今回はちと反省。
肉体の衰えがもっと緩やかで500歳くらいまで生きられたら、様々な知識と経験を経て、人はもっと「精神的な理想」の自分に近づくのだろうか。

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