ヌーソロジーは「無断転載を命ず」なので、バリバリ転載しています。
「食べること」について
半田さんのブログ。
以下に一部を転載。
「表相から内面に働きかける」。
思形という感じがします。「大文字の他者」ということです。
大文字の他者
思形と大文字の他者。
「●SU(2)対称性によって発生する第三の視線」。
最近は個人的にSU(2)の感覚が掴めてきたので、思形とか食とか、そういうところに嗜好が、もとい思考が向いているところです。
植物食と動物食
同じく冒頭のブログ記事より。
「人間の意識進化の方向は人間の外面の方向にあるので、確かに菜食の方が好ましいとも言えるが、OCOT情報はそれは人間の選択であって、高次が誘導することではないと言う」という箇所。
これに関する日月神示(ひふみ神示)の記述もあります。
「人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。(…)その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。」
というのが、人間の自由意志というか、人間の意識進化というか、そういうものが高次元存在の言いなりではなく、自立的な(自律的な)もの足りえるひとつの要素のように感じます。
●やがて人間は「不食」になる
ヌーソロジーで言われるSU(2)の感覚が生まれてきてから、食というものへの衝動が薄くなってきたように感じています。
ちょうど昨日、都市伝説系YouTuberの「ミルクティー飲みたい」さんが食について動画を出されていました。ヌーソロジーのSU(2)的な空間認識の観点から食について思考を始めていたところだったので、シンクロニシティを感じます。
ウパニシャッドの二羽の鳥
『シリウス革命』p.455~を参照してください。
これはヌーソロジーで言われる「自己他者論」ということでもあります。
私が私ということを感じているとき、例えば美味しい食べ物を食べているとき、私は私らしいと言えるのではないでしょうか。(もちろん、ここでいう「私」とは肉体的な私であり、通常ヌーソロジーで言われる自己他者の「自己」とは存在論的差異があります。)
しかしながら、実は私が私ということを支えているのは、実は他者なのではないかと、最近感じるようになってきました。大文字の他者ということです。
同様に、あなたがあなたであるという認識、単純に言えば他者というものの認識は、私あるいは自己としてのわたしが支えているのではないか――そのような感覚が生まれてきています。
仮に、私が飲まず食わずで仕事をしているとき、隣の席で同僚がタピオカミルクティーを美味しそうに飲んでいる、食しているとしましょう。そうしたとき、私は彼または彼女に嫉妬、あるいは羨望のような感情を抱きます。あるいは、複数の同僚が楽しそうに会話をしているときも同様です。私は仕事の集中力を削がれ、もっていかれそうな感じになります。
私は見せつけられているのでしょうか。そうかもしれません。ここにおいて、大文字の他者というのは私が担わされています。周りの楽しそうな二人の同僚だとか、あるいは1人の同僚と1つのタピオカミルクティーとか、そういった自己他者の共鳴において、私という第三者的な目線が、大文字の他者として用いられているのです。
しかし不思議な感覚でもあります。なぜなら、そのうらやむべき同僚たちというのも、私の視線によって生かされているという言い方ができるからです。であれば、私もまた、ある意味彼らの共犯というような言い方もできます。
しかしながら、同僚たちを羨むように見ている、と思われてる私自身もまた、誰かにそのように見られていることによって、成り立っているのです。あるいは実際には自意識過剰なだけということもあるかもしれませんが、その場合でも妄想において、見られているということが言えるのだと思います。
自我としての私というものが、実際の他者視線でなく妄想における他者視線によって妄想的に肥大化してしまっているということが自覚できると、自我を薄め、本来の濃さにすることができるのかもしれません。
これもまた、カオナシのように例えられます。
自我の肥大化したカオナシ。
適度に薄まったカオナシ。
こういった自我の肥大化というものも、上述したひふみ神示の「ツキモノ」(憑きもの)の話につながるでしょう。
話をウパニシャッドに戻しましょう。
ウパニシャッドの逸話はヌースの思考法の原点です。
やはりウパニシャッドの二羽の鳥の話は、ヌーソロジーにおいてキモ(肝要)になってくるのだと思います。
量子論とか素粒子論で言われる「スピン」というのも対応しているようです。
人間には欲望があります。「食欲、性欲、睡眠欲」というのは一般に三大欲求として知られています。
ヌーソロジーでも「性」については色々と言及されています。男性の性欲と女性の性欲は、ノスとノウスに対応しているとか、人間の内面と人間の外面とかとの対応関係とかありますが、今回は「食」がテーマなので深くは追わないでおきます。
ラカンとか思形とか感性とか見えてきた気がします。