藤井風のダークな部分に迫ったと感じた
はじめに
NHKスペシャル「藤井風 登れ、世界へ」を見た感想をここに記したい。
一言で言うと、辛かった。
キラキラした彼の裏側の苦悩を、目の当たりにした衝撃のドキュメンタリーであった。
世界の藤井風になった
藤井風はアメリカのリパブリック・レコードと契約した。
海外での活動は今後ますます活発になることは明らかであろう。
どうしてそこまで世界にこだわるのか。
風は幼少期から両親の影響で音楽と英語に親しんできた。
「最高のものにしたい」と語った風。
しかし、その壁は大きい。
英語を母国語としていない風にとって、英語での楽曲制作は困難を極めるものである。
私は正直、そこまで英語にこだわらなくてもいいのでは?と感じた。
英語が堪能だが、彼はれっきとした日本人。
彼の岡山弁は、耳に心地よい。
そのままでも十分なのに、それでも英語にこだわるのは、本当に、心から英語という言語を愛してやまないのだろう。
音楽と英語と共に育ってきた。だからこそ、今まで聞いてきた英語の曲より劣ったものは嫌だという、絶対譲れない部分があるのだろう。
そこにはとてつもない愛を感じた。
藤井風の孤独を垣間見た
風の楽曲制作をする姿を初めて見た。
苦しんでいた。こんなに苦しんで苦しんで、やっと一曲が出来上がるのか。
私は風にとって、曲を作ることは喜びそのものだと思っていたのだが、それは違っていた。
風は、本当に苦悩していた。
まるで子どもを生み出す瞬間のような。
天を仰いだり、苦い顔をしたり。もうどうにもならなくて、外に散歩に出かけ、頭を抱え、顔を手で多い、何とも言えない落ち着かない様子は、見ていてつらかった。
人前に出て、キラキラした部分を見せているのは、ほんの一瞬なのだ。
人は人前に出る部分より、表に出ない、裏の部分を過ごす時間が圧倒的に多い。
風もまた同じである。
普段は楽曲制作というデスクワークを延々とこなし、そして合間でライブの準備をする。パフォーマンスは一瞬である。
普段は孤独なのだ。孤独と向き合いながら、必死にインスピレーションが降りてくるのを待つ。
本当につらいだろう。
自分の気持ちと周りの期待の齟齬
私がすべて見終わった時、風はどこか、自分と周りがちぐはぐになっている感覚があるのでは?ということを感じた。
具体的な目標を立てた、と話していた風。
やるしかないと。やらない理由がないとも。
未知の世界は容赦ない。
ぽっかりと空いた穴に飛び込んでいるようなものだ。
自分の本当の気持ちは、ここにあるのに。
周りはもっと、もっとを求める。
本当は3rdアルバムを日産スタジアムライブの前に出す予定だったと話していた。しかし、叶わず。
過去を振り返り、そもそもなんでこんなことしてるんだっけ?どこに向かってるんだっけ?
自分の気持ちがついていけない。
もっと自分のペースでやりたい気持ちと、周りの期待に合わせて、未知の世界へ行ってみたい気持ちと。
大手と契約してしまった以上、なんでも自由に、がきかなくなってしまったのか。
やらなければならない。
けれど、心はまだそこまで行けてない。
そんな感じだろうか。
新しいことをするときは、大抵そうである。
しかし前例がないこととなると、どうだろう。
彼の苦悩は計り知れない。
古い自分と新しい自分
風はold styleを貫くか、今までの常識を覆すようなものを作るか、悩んでいた。
私はどちらも必要だと思った。
温故知新とも言えるか。
風のいい部分は、本人には自覚がないと思うが、たくさんある。
しかし、それだけだと世界へ登るにはまだまだ足りないのかもしれない。
諸行無常である。
私の思い描くイメージは、乗っている車はそのままだけど、いろんなところを旅するみたいな。
本来の形、根っこの部分は変わらないけれど、新しいものを取り入れて、より良くなって行くみたいな。
まぁ、言うのは簡単だが、これを行動にするのは難しい。
風は葛藤していた。今回のドキュメンタリーでは、本当に葛藤シーンが多い。
もっと丁寧に音楽を聴こう
いやしかし、一曲にかける情熱はすごい。
これからはもっと丁寧に藤井風の曲を味わい聴こう。
風が言っていた「情熱」。
なんだか考えてしまった。
私、最近あんなに情熱を注げること、したっけ?
考えて見れば、物体として存在するものって、ほとんどが情熱の塊ではないか?
今自分が座っているソファーだって、誰かの「作りたい」という情熱から始まってできたものだ。
この世の中の成果物は、すべて情熱からできているものなのだと。
それを忘れて、安易にものを選び取り、ただ消費し、ポイポイと捨てる私たち。
猛省した。
もっと一つ一つのものを味わい尽くさなければ。
情熱の下、できたものたち。
風の曲だってそう。あんなに苦悩してやっとできた一曲。
風の曲に限らず、どの曲もそう。
情熱で作られたものに、もっと私たちも情熱を注がなければ。
生産と消費の間に必要なもの、「情熱」である。
おわりに
風の世界への挑戦は、思った以上に厳しい。
あんなにさらっとやり遂げているかのように見えた彼の、苦悩の日々の部分。
見せてくれてありがとう。
でも、情熱を忘れなければ、乗り越えたときに、また新しい世界が見えてくるはずである。
その時に振り返ると、とんでもない経験と自己成長を感じるだろう。
いつまでも待っているから、無理しないで欲しい、というのが本音だが、時代は待ってくれない。
それは風本人が一番分かっていることだろう。
私は今後も藤井風を追いかけたい。
そして、今後はアメリカに拠点を置くことになったとしても、たまに日本に帰ってきて、old styleの部分を感じて欲しいと願う。