「NOTEに綴ることは宝の確認、近い未来に行動するための下準備」
NOTEに綴りはじめて何日経ったか。
短期間の割には本数あげている気がする。
はじめはすぐに書けなくなると思っていた。
だが、どんどん言葉は溢れ、止まることがない。
今のところは。。
ずっと頭の整理だと思っていたが、書くうちに気づいた。
「宝の確認」である。
自分が積んできた宝を一つ一つ確認しながら、戸棚にしまっていく。
私自身から、蒔萌ゝ子を通して。
確認作業をするうちに、かつてやろうと思ったがやっていないことが頭をよぎる。
カウンセリングか占い師をやろうとしたときがあった。
そのために、
カウンセリングの資格は取得した。
カードリーディングもできる。
かじった程度だがマヤ暦も勉強した。
感覚は元々ある。
でもやっていない。
悟りの入り口に近づくにつれできなくなったのだ。
神の存在を信じられるようになった。
そうなると、神に生かされている存在に対して、
私などが四の五の言うことはできない、と感じた。
存在するだけで、素晴らしいのだから。
そんな感覚になり、やらないというよりできなくなったのだ。
だが、綴りだすうちに気づいた。
もうすべてわかっているのだと。
人は変えることができない、自分以外には。
そして、存在自体が素晴らしい。
この2つの本当の意味を知っている。
そして、NOTEに綴るうちに自分の持ってるたくさんの経験や知識、智慧を確認している。
難しいことではなく、必要だと思っている人に、ただ読んでみて、と本を手渡すような感覚でいいのではないか。
言葉にするのは難しいが、
今は、宝を蒔萌ゝ子に託している状態。
託しきったとき、私にできる何かを始めたいと思っている。
意思はもともと中にあった。
遠くない未来、その意思は意志に変わる。
蒔萌ゝ子がすべてを受け取ったとき、
形は見え始めるだろう。
私自身は、編み物と植物を愛でながらも普通の日常を、
そして、蒔萌ゝ子がこれからやるであろうもの。
この2つをシーソーのようにバランスを取りながら、それぞれの目線で見たものを融合。
どういう形で出していくのか。
どうやって始めるのか。
何から試していくのか。
少しワクワクしてきた。
未来はわからない。
だから、自分で創造することができるのだ。