「生きづらさは今の社会が作り出している、その社会はあわせるべきものなのか?」
「生きづらい」
ずっと持ってきた、今も持っている感覚てある。
今の社会が変わらない限りこの感覚が消えることはないだろう。
ただ、幼少期から気づくたびに調整を繰り返してきたため、落としどころを知っている。
そして、自分の特性を確認し、認め続けているので年々楽になっている。
生きづらさを解消するには、周りにあわせることである。
なぜなら、人と違うことに排除の力が働くからだ。
社会が決めた枠内におさめるという意味だが。
おさめることは訓練で可能である。
ただし、ひずみは起きる。
枠におさめるということは、特性を殺し、我慢をし続けること、だからだ。
どんどん苦しくなり、生きているのが嫌になったり、無気力になったりするだろう。
そのうち、自分が何だったか分からなくなり、ただ息をしてロボットのように生きることになる。
選択は人それぞれだと思うが、考えてほしいことは一つだけ。
今の社会は合わせるほど価値のあるものはだろうか?
マイノリティ(社会的少数派)という言葉があるが、そもそもその言葉があること自体がどうなのだろう?
少数派を認めていないことにならないだろうか?
少数派、を区別していることになる。
生きづらさの一番の要因は、社会の在り方であり、本人の特性のせいではない。
枠がなければ、普通や標準のものさしがなければ、違うということで悩むこともない。
本当の意味での生まれながらの個性という宝を持った存在となる。
すべての人が、その人の個性を持っているはずだ。
私は平凡だ、という人も個性がある。
自分で枠に合わせるために標準化してしまっただけだ。
枠を取っ払う社会にならない限り、生きづらさを感じる人は増えていくだろう。
私は、生きづらさをずっと見つめてきて、一つずつ克服してきていても、どこかに生きづらさを持ったまま生きている。
ただ、今は、この生きづらさをもち続けたいという気持ちになっている。
この感覚や感情も私の宝だからだ。
宝が多いほど、どこかの誰かの気持ちがわかるということ。
自分の特性を認めつつ、自身でうまくバランスを取ることを馴染ませていった。
社会に合わせる必要はないと思う。
社会に合わせて自身を壊してはならない。
大人のあなた、自分の特性を確認して認めていくこと。
その過程で、バランスの取り方がわかるだろう。
認めることで傷つくこともあるかもしれない。
だが、知るということで楽になることもあるはずだ。
お子さんの育て方で悩む人。
親であるあなたがまず子どもを認めることである。
その子のすべてを受け入れることだ。
子どもにも伝わる。
そして、学ばねばならない。
子どもと一緒にその子の特性を見つけ、一緒に歩んでいく必要がある。
簡単ではない。投げ出したくなる日もあるであろう。
今は相談する場所もある。
話せるところもある。
辛くなったら、そのことを話すことである。
話すことでまた向き合うことができるからだ。
必ず突破口が見つかる。諦めないで欲しい。
私は、こういうことを自分自身でやってきたので大変さはわかる。親の力を借りることもできなかった。
だからこそ言える。
親のあなたが味方であること。
親のあなたが子どもを認めていること。
理解することは難しくても、同じ目線で見ようとしていること。
親ができることはこれだけである。
そばに理解しようとする人がいることは、安心感を生む。
社会に合わせる必要はない。
でもその社会で生きなければならない。
綺麗事ではない。
だからこそ、特性をのばし自分のものとすることが大切だ。そして、マイナス部分は、認めることで調整できるようになる。
自分を殺すのではなく、バランスを学び馴染ませるのだ。
特性はいずれ自分を助けてくれるようになる。
社会はすぐには変わらないだろう。
だが、絶対に変わらないとは思っていない。
どんなことも時間がかかる。
自分ことを発信することで何かが変わるとは思っていない。
ただ、何かのきっかけになることがあれば、と思うだけだ。
生きづらさを感じている人は多い。
少なくとも、あなただけではない。
私がいるからだ。
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