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「道、自分の道を歩く」

NOTEをはじめてもう少しで一ヶ月だが、かなりの本数をあげていると思う。

無理にあげているというよりは、言葉が止まらない。

どんどん湧き出て、書かずにはいられないのだ。
自分でもびっくりする。
それだけ、自分の中に共通の本棚に置く素材がたまっていたのだろう。

私は、一つの道の終了にきている。
道の途中では伝えることができなかった。
傷つき、ボロボロで、それでも前に進んでいる状態だったからだ。

今だから伝えられるようになった。

また新たな道に進むために。
次に進む道はまだ決まっていない。
今も道の途中だ。

でも書けている。
以前ボロボロであった自分を、癒し、浄化し、整え、変化を認めたからだ。

ここから先は、道の途中でも綴ることができる。
そして、道は終わらないことを知っている。

どんな人にも道はある。
後戻りする人、迷子になる人、立ち止まったまま動けない人。
たくさんの道。

そんな道の途中で、ご縁はつながる。

ご縁とは、道を歩いてる時に出会った人なのだと思う。
曲がり角で、少しだけ話した人。
少しの期間一緒に歩いた人。
ずっと一緒に歩き続ける人。
分かれ道に来て、それぞれの道を行くこともあり、
それぞれの道に行くけど、並行している場合もある。

道は人それぞれに与えられている。
一緒に歩いていても、道は違うのだ。

別の道を歩こうとしている人を、自分の道に歩かせようとしても無理だ。

その道は、他人の道だから。
その道を歩かせようとするとひずみが起きる。

意味は分かるだろう。

それぞれに辿った道は、いずれは一つになると思っている。
すべてはつながっているからだ。

できることは、自分の道を歩くこと。
他人の道は歩けない。
自分の道を他人に歩かせることもできない。

理解できると自分の世界は一変する。

歩かせようとしてる人も、
歩かされてる人も、執着から解放される。

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