【編み物】かつて、ネットで悲しい批判をみた
編み物をしていて、ふと思い出したことがある。
今は棒針メインにやっているが、何年か前にかぎ針の編んだことのない編み方を調べていたときのことである。
かぎ針の持ち方に対しての批判であった。
ペン持ちとナイフ持ちに対してだ。
ペン持ちをしている人が、ナイフ持ちに対しておかしいと批判しているものだった。
???
なぜ批判するのかわからなかった。
私はペン持ちである。たまたま最初に始めたときにペン持ちだったからだ。
だが、ナイフ持ちで編むこともある。
編む作品によって変えている。
細い糸や細かい編み目はペン持ち、太い糸や麻紐などはナイフ持ちで編むことが多い。
単にやりやすいから。
たしかに教える時は、どちらか統一して教えるのはわかる。混乱するからである。
だが、どちらがいいということはあるのだろうか?
どちらも使う私にとって、どちらかを選ぶことはできない。
どちらも使い勝手はいい。
棒針もフランス式とアメリカ式があるが、それに対するどちらかの批判はあまり見ない気がする。
個人的な意見だが、編み物は創作だと思う。
自由に好きなように編む。
同じ糸で、同じ人が、同じように編んでもまったく同じ出来上がりにはならない。
機械ではないから。
それがいいのである。
創作の世界にまで何かに囚われていることがなんだか悲しかった記憶がある。
まあ、私は好きに編むからいいが。
棒針もかぎ針も両方使う。
アフガン針は使ったことがないが、やりたいものの一つだ。画期的な針だなあと思っている。
囚われることから解放された人達が、新しいものを生み出し今に伝えられている。
楽しく編んだらいいのでは?と思うのは私だけなのだろうか?