
「誰でも見ることができる過去、現在、未来の日記」
noteに書き始めて二か月たった。
書き始めたときは、書いたことが誰かに響いたらいいなあという思いがあったと思う。
ただ、今はその気持ちはなくなった。
といっても悪い意味ではないと思っている。
かつて、人のためにという思いがあった。
ただ、感覚が変わっている。
どうにかできるのは自分のことだけなのを知っているし、人それぞれ人生は違う。
幸せの価値観も考え方も環境も性別も人種も違う。
私自身は、自分が経験したことや考えたこと、考えていることしか語れない。
経験の上で、境遇が似ていたりして共感できることはある。
でも、まったく同じであることはない。
感じたことなども違うだろう。
結局のところ、人を理解することはできないし、その人になることもできない、などと考えていた。
だが、別にいいのではないかと。
私は、自分の経験や知識、感じたこと、今の状況、将来に向けてなど、日記を書いているのだ。
私の中の客観的な蒔萌ゝ子という存在が書き綴っている日記。
誰でも読める個人の日記。
ただそれだけなのだと。
そもそも見えない世界では、経験や知識はつながっている。共有のものだ。
だが見える世界。
現実世界では、経験や知識は個々のものである。
いずれ共有するであろうものを、ただ見える形にしているだけ。
何かのためでも、自分のためでもない。
オープンな日記なのだ。
と思ったら、もっと書きたくなった。
もともと飾る言葉など書けないし、気の利いたことも書くことはできない。
感じたまま、思ったまま、経験したこと、その時に感じた感情をそのまま書いている。
だが、どこかで誰かのためになること、何かの役に立つことじゃないといけないのかもしれない、などと思ったのだ。
こういう感情も呪縛の一つかもしれない。
それに気づけてよかった。
書くということは、面白い。
感情が芽生えたり、思ってもみなかったことに気づいたり、自分にこういうところがあったのかと再発見したりと様々な学びを得ることができると思った。
誰かの真似ではなく、自分の言葉で自分らしく、感じたことをこれからも書いていきたい、とあらためて思った。