見出し画像

それから

果たして人類は発展したのであろうか…

真夜中に見上げる電柱は、LED電球の光を落とし、私を浮き上がらせる。

この電柱が以前は、小さい穴がたくさんある木であったような気もするが、それも記憶違いだったような気がするほど、コンクリートの年季が入った肌質と、その径の太さが、私を説き伏せる。

物言わぬ電柱に説き伏せられるほど、私は滅入っていた。
梅雨の湿気だけがそうさせるのではないと、わかっている。

心当たりは有り余るほどある。女のために家族を裏切り、家族に捨てられたこと。
老いた両親のもとに身を寄せ、親孝行どころか、甘えて暮らしていること。
そんな暮らしの中で、違う女に満たしてもらっていること。その女が、私の後悔に気づいていること。
職場で、仕事に集中できないこと。
いや、仕事は集中したことがない。誰でもできるような仕事は私の本業ではないと思っているからだ。
私の本業は、シンガーソングライターであると思いながら、その音楽でさえ、常に逃げ道を用意しながら取り組んできた。
片手間の腰掛けみたいに10数年在籍した職場は、コロナ騒動以降、経営不振に陥り、一年も持たない兆しが噂されている。そうなって初めて、危機感を覚えるようになった。腰掛けが急に壊れて、尻餅をついてしまうと、もう二度と立ち上がれないかも知れない危機感に。

17年過ごした結婚生活は、私をよそ者に変えたように、実家に馴染めなくなっていた。

流しの排水口にある、残飯と一緒になった薬の包み。
ナイロンの紐を引くと釘が抜けて鍵が開く勝手口。
余計に目立つキズ隠しのスプレー跡だらけの車。
どれも自分の家ならあり得ないことだが、これが自分の育った家だと、不思議な気持ちになった。

町も知らんぷりをしてるのかと思えるほど、当時の面影を薄くしていた。
前からある家は空き家になり、公園の遊具はなくなり公民館のための空き地でしかない。町内に3つあった駄菓子屋は一つも残っていない。裏の家は薬屋でなくなり、向かいの家も文房具屋ではなくなった。

果たしてこれは発展の証しなのであろうか…

町の見張りを進んでかって出ていたかのような、道端に出る老人たちも見かけなくなった。あいさつする声が聞こえない。

こうして私は、以前実家で暮らした頃より不安に苛まれている。

LED電球の光が、それを透かしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?