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「ちゃんとした大人」を考える
わたしはちゃんとした大人になりたかった。
大学を卒業して、
安定した企業に務めて、
普通に結婚して、
子供を2人か3人くらい持って、
専業主婦になって、
子供が小学生くらいになったらパートに出る。
漠然と描いていた未来はこんな感じだ。
こういう、平成初期までのステレオタイプの女性の生き方をするのが普通だと思っていた。
「そうなりたかった」というのは少し違う。
「そうなるべき」という固定観念の中で生きてきた。
誰に言われた訳では無いが、周りの大人のほとんどがそうだったので、
そう言うものだと思っていた。
普通からはみ出さずに生きていくのが目的で、
普通からはみ出さないように物事を判断してきた。
普通からはみ出さないのが「ちゃんとした大人」だと思っていたのだ。
はみ出さないように道を歩けば、
はみ出さなかった人の行く着くところに行けると思っていた。
ベルトコンベアーのように。
『思考の整理学』の著者、外山滋比古さんの言うところの
「グライダー思考」である。
かなり典型的なタイプだろう。
「グライダー」とは、つまり自分で羽ばたかず風に乗るだけということだ。
「こういう物だからこう」と言う思考に囚われて、与えられた勉強はできるが、教わっていない問題を自分で考えて解決することが出来ない。
その反対が「飛行機思考」だ。
自分で飛ぶことができる。
困難があっても乗り越えて、自分を目的地へ運ぶことができるのだ。
もちろん両者はグラデーションで、きっぱりと二つに分けることはできない。
わたしは20代前半まではかなりグライダー寄りだった。
体感では85%以上グライダーだったと思う。
社会の中でもまれるに従って、自分で考えて行動して目標を達成するということができるようになってきたが、この考え方をもっと早く知っていたらと思わずにはいられない。
高校生か、大学生のうちに出会いたかった本である。
大学を卒業して、
安定した企業に務めて、
普通に結婚して、
子供を2人か3人くらい持って、
専業主婦になって、
子供が小学生くらいになったらパートに出る。
今は昔と違って、環境が人にそういう人生を歩ませることは少ない。
いい大学へ入れば必ず安定企業に就職できるわけでもないし、
そこかしこにお見合いオバサンがいるわけでもない。
物価は上がるのに賃金は上がらないので退職は得策とは言いにくい。
平成初期までのステレオタイプ人生を歩みたいのであれば
未来がそうなるように先手先手を打って自分で近づかなければならない。
漠然と「そうなるんだろうな」と思っていた未来は努力なしには訪れない。
いつまでも自分で飛ぶことを覚えないグライダータイプの人間に、
「ちゃんとした大人」は難しい。
参考