
「笑い話」じゃないんだよ。
私は、子どもが困ったことを話してくれているのに、
その様子がかわいくて笑ってしまうことがある
これはよくないなと思いつつ、ついつい笑ってしまうのだ
ふと冷静になったときに、ごめんねって思う
笑い飛ばしてしまった方が子どもの心が軽くなるのか
一緒に悲しんだほうがいいのか判断がつかない
オチはとくにないが、書いてみる
お母さん聞いて
布団に入ろうとしていたそのとき下の子が言った
「あのね、聞いてほしいことがあるの」
「どうしたの?」
なんとなく言いづらそうにしていたので
背中に手をおいて続きをうながす
「今日ね、着替えた後にズボンが落ちてたから、拾って先生に届けたの」
「へぇ!それはえらいね。で、どうしたの?」
「そしたら、そのズボン○○(自分)のだったの」
!!???
ぐふっ。ぐふふっ。
「そうだったんだ!あぁ、じゃあ、体操着のズボンだったってことだね?
見た目じゃ誰のかわからないもんね。(ぶふぉっ)。」
「笑わないで!恥ずかしかった。みんなに笑われてとっても嫌だった」
そうだよね。恥ずかしいよね。
母としては、ズボンが落ちている→拾ってあげなきゃ→先生に知らせよう
と行動したわが子がとても愛おしいし、
それが自分のだったというオチもめちゃくちゃかわいい
このおっちょこちょいさんめ!と思う
でも本人からしたら、とっても恥ずかしかったよね
穴があったら入りたかっただろうね
そんな恥ずかしい気持ちを打ちあけてくれたのに
わたしってば、笑ってひどいよね
「かわいくてわらっちゃったけど、落とし物を届けようとした
○○はとってもえらいし、素敵だよ。」
と伝えたけれど、笑ってしまったことは帳消しにできないか・・・
私にとっては笑い話、子どもにとっては泣きたい話
それぞれの語り方
そして、もう少し考えてみた
うちの子はこうやって説明したけれど
子どもが
「今日は、先生と皆に笑われてすごく悲しかった」
とだけ報告してきたら
親としては動揺してしまうのではないだろうか
もちろん更に詳しく聞くだろうけれど
泣いてしまって説明できなかったら?
先生に不信感を抱き、周りの友達はいじわるな子ばっかり
なんてどんどん物語をつくりあげてしまう
「これ○○のだよ」って優しく耳元だけで教えてあげれば
よかったのではないかなんて思うかもしれない
きっとそんな悲しいすれ違いもいろんなところで
起きているだろう
私が教員として子どもの前に立っていたとき、立っているとき
もちろん子どもたちを傷つけたいとは思っていない
でもこんな風に傷つけてしまったことも数え切れないほど
あると思う…というかある
思い出して胸が痛む ごめんね
ちっちゃくなっちゃった~
上の子が泣いているのに、笑ってしまったこともある
上の子が漢字の宿題をしていた
バランスがとれず、納得のいく字が書けずに
だんだん負のオーラが漂い始めた
目には涙が浮かんでいる
これはまずいぞ この雰囲気はまずい
困っているのは本人なのに、本人が荒れ始めると
私はついついイラついてしまう
その流れがよくないことは経験上わかっている
冷静になろうと、少し距離をとって眺めていた
もちろん口もださない
わが子は一生懸命丁寧に書いている・・・
使っているのは1マスが4つに分かれているタイプの
漢字練習帳だった
その、上の二マスにしかおさまらないくらい小さく書いている
例えば「竹」という漢字を書いているとしたら「竹冠」くらいの
サイズになっているということだ
どんどん小さくなっていく、慎重にかけばかくほど
小さくなっていく
あぁ~、小さくなっているな
気づいたらまた荒れるかな
と思いつつ、小さくなっていく様子がツボってしまった
そう、私はゲラなのだ
小さな事で爆笑してしまうタチなのだ
笑いをこらえていたら、上の子が叫んだ
「ちいさくなっちゃった~(泣)」
お笑い芸人さんがばっちりのタイミングで
最高のつっこみをいれてくれたかのごとく
私が思っていた「小さくなっちゃった」を
しっかり言われて、ぶふぉっとふきだしてしまった
笑ってはいけない
わが子が傷ついている
「大丈夫だよ。サイズは小さいけど上手に書けてる!」
「丁寧に書いてたから小さくなっちゃったね」
と励ました。もちろんこれだって私の本心だ
それでも、合間にぐふっと笑いがもれてしまう
その後、全て消して書き直していた
真面目な子だ 素敵だね ごめんね
そして今とこれから
これらのエピソードから少し時間がたった
子どもたちの中では笑い話に変わっただろうか
まだ、傷ついた出来事のまま存在しているだろうか
それとも、次からは
・自分でまず名前を確認しよう
・大きさに気をつけて書こう
という教訓を得たできごとになっているのだろうか
確認したことはない
まだ傷のままだったら、確認するのは怖い
でもいつかは、笑い話として、教訓として
話せるエピソードに昇華されてほしいと思う
笑い話じゃない
子どもにとったら、笑い話じゃないと思う
こんなに真剣に話しているのに
笑われたらきっと嫌だろう
真剣に取り合ってくれていないと思って
もっと傷つくかもしれない
かといって、シリアスにとらえすぎて、
共感しすぎても
その出来事が悪いできごととしてはっきりと
輪郭をもってしまうかもしれない
何かが起きたとき、そのできごとを
どんな物語として語るかは人それぞれだ
わが子たちがどんな風にできごと語る人になるのか
分からない
私は、ついつい笑い話にしてしまう
ユーモアで乗り越えることが好きだ
とはいえ、本当に笑い話として昇華できているものもあれば
笑い話にして傷にふたをしてしまうこともある いつか膿む
それに、本当に笑えないくらい反省する出来事もある
その苦しさとは共に生きていく
なんかスケールが大きくなってきたので戻す
私はユーモアで乗り越えるのが好きでも
でも子どもたちは違うかもしれない
子育てをしていると、どんな返答をすればよいのか
判断に迷うし、これは違った~と間違うこともある
自分を信じてそのとき感じた思いで反応できたらいいけれど
私は、つい考えすぎてしまう
それなのに、笑ってしまう
いつもいつもは、正解の対応はできない
自分の判断にだっていつもいつも自信があるわけじゃない
それでも日々子どもとの会話は続く
できれば傷つけたくない
これだけは本当にそう思っている
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