見出し画像

アイデンティティを実績に結び付けない

こんにちはー、KMです。
毎度恒例「楽に生きたいね」シリーズのお時間。始めた覚えはありませんが。

さて、皆さんはプレッシャーや緊張感に殺されそうになった経験がありませんか?僕はたくさんあります。

ついこの間のことですが、高専では夏休み明けのテストがありました。
もちろんそれらは事前に告知されているわけですが、「このテストで悪い点を取ったらどうしよう!僕の高専生活は終わりだあああああ」みたいな感じにはなりませんでした。
中学時代の僕ならばそうなってもおかしくはなさそうですが、何故この前の僕はそうならなかったのでしょう?

それについて、最近注目している考え方をnoteで共有させていただきます。


プレッシャーを感じるというコト

そもそもプレッシャーを感じやすい人ってどんな人?

クラスに一人はバカがいるじゃないですか。授業をまともに受けず、ずっと遊んでいるような人。
そういう人たちって、勉強面でプレッシャーを感じているんですかね。なんとなく、感じていない人が多そうではありませんか?

中学生の僕は彼らを「バカそうで羨ましいな」だなんて見下していたわけですが、ある意味彼らの方が賢かったと、今では思います。

そもそも、僕は何故プレッシャーを感じるのか。どうしてテストに怯える必要があるのか。
想像したこともなかったですが、今一度よく考えてみました。

おそらくその答えは、「自分は周りに比べて勉強ができたから」だと思います。なんとも嫌らしい話ですが、学年トップを取ったりすると、「次もトップを維持しなければ」という感情が湧いてくるんです。
その考え方の根底にあるのは、ある種のアイデンティティではないでしょうか。それは、『学年一位のKM』という自分。

「学年一位でない自分はKMではない。自分を形成する核となる要素なのだから、決して逃すわけにはいかない」
そんな思いが、きっとあったんだと思います。

このような『実績に基づいたアイデンティティ』を持っている人は、人一倍プレッシャーを感じやすいと考えています。実績なんて定期的に揺らぐものですし、安定しません。そのような脆弱な土台の上に自分を積み上げていくとなると、常にグラグラしていそうではありませんか?

優秀な人ほど危うい

要するに、優秀な人ほどプレッシャーを感じやすいはずです。特に実績もプライドもない人が、緊張感を感じる必要はありませんからね。
僕と一緒に高専へ進学した友人がいるのですが、彼はかなりプレッシャーに苦しんでいた覚えがあります。

中学時代の彼の優秀なポイントについて、整理してみたいと思います。

・生徒会長だった
・バスケ部の部長を務めていた
・トップクラスの成績を持っていた

文武両道。そして、高い地位についていた。
普通に凄かったです。僕も勉強はそれなりにできましたが、運動も役職も誇れるものではなかった。

でも、そんな彼には裏があったんです。次は、彼の母親から聞いた話です。

要約すると、彼は燃え尽き症候群に近い状態になっていたそう。
放課後は部活に打ち込んで、帰宅後は長時間の勉強。そんなルーティンを毎日のように繰り返しているうちに、感情が無くなっていったらしいです。

それでも彼を動かすエネルギーとなっていたのは、人からのプレッシャー。彼のような優秀な人物は、周囲から期待されて当然でしょう。
よく「○○はすごい」だとか、「よっ!天才!」のような言葉を耳にしましたが、それは彼を追い詰める凶器となっていたのかもしれません。

プレッシャーからある程度ラクになる方法

実績に基づいたアイデンティティは「解釈」である

そもそも、ここから考えてみましょう。
「優秀だから自分なのか?」
これは本当に大切な質問です。自分自身に問いかけてみてください。

僕の出した答えはノー。
僕は「学年トップだからKMという自分がある」と考えていたわけですが、誰がそんなこと言ったのでしょう?きっと、自分ですよね。
「学年一位でないお前などお前ではない」などと言ってくる嫌な奴もいるかもしれませんが、他人の言葉なんて話半分が一番ですから。

ところで、解釈力の高い人は一定数います。それは察する力とも言えるかもしれませんね。
物事を上手に捉えて、「これはこうだから、それはそう」と導ける人。それは重宝すべきスキルですが、長所には必ず短所が存在します。

短所というのは、行き過ぎた解釈。例を挙げるなら、「自分は悪い点を取ったから、人に見放される」というような解釈のこと。

まぁ、そんなわけないですよね。成績や実績の上に人は存在していません。

つまり、自分は自分なんです。過去も現在も未来も、何が起ころうと自分がそこに存在するという事実は変わりません。

事実と解釈を分ける

まだまだ抽象的なので、もっと具体化して考えてみましょう。
僕が注目している考え方というのは、「事実と解釈を分ける」ということ。

具体例を挙げて考えてみます。

「テストで平均点以下を取った」

これは揺るぎない事実ですよね。黒板にクラスの平均点が書かれて、自分の点数はそれ以下だった。

「つまり、自分は人の期待を裏切ってしまった!」

これは解釈です。正確に言うなら、悪い解釈です。
それはきちんと確認したのでしょうか。少なくとも、「僕は君の期待を裏切った?」と聞いて回るような人はいないと思います。

まるで後者が事実であるかのように捉えると、それはそれは苦しんでしまうわけです。確証バイアスは厄介ですからね。

また、今度はプレッシャーという点に注目した例を挙げてみましょう。

「テストで学年一位を取った」

おめでとうございます。これは喜ばしい事実ですね。

「つまり、次のテストも学年一位を取らなければならない」

ん?そうはなりませんよね。行き過ぎた解釈です。
プレッシャーは、このような解釈から引き起こされるケースが多いのではないでしょうか。

このように事実と解釈の分別ができるようになると、割とラクになると思います。心配事のほとんどは、この行き過ぎた解釈が原因な気もするんですよね。

まとめ

「事実と解釈を分ける」。これに尽きます。
特に、優秀な功績を収めた人ほど大切にしてほしいです。あなたの苦しむプレッシャーは、行き過ぎた解釈の可能性が高いから。
自分が直面している問題は事実なのか解釈なのか。それを問うようにしてほしいです。

また、これもお伝えしておきます。
この記事ではプレッシャーからラクになる方法を紹介しましたが、一概にプレッシャーが悪いものというわけではありません。
プレッシャーがあることで、行動を起こすエネルギーになったりします。もともとプレッシャーとはそういうものなのかもしれませんが、それを悪い方向に捉えてしまうと害を及ぼしやすいので注意。

それでは、今回はここら辺で終わりにしたいと思います。

この記事も、これまでと同じく参考程度ということでお願いします。結局は、それぞれに最適化された生き方がありますからね。

それでは、またお会いしましょう!

いいなと思ったら応援しよう!