音大を辞めろと母は言った
1千200万をかけて入学した音大を
入学半年後
母は退学しろと言った
とある年の4月
無事音大に入学した
師事する先生は声楽学科主任教授だったので
上手な学生ばかりが
集まっていた
成績優秀で学年1番上手な子もいた
私より歌が上手くない子は
いたのかな…
下から数えたほうが早いのは確かだ
高校と同じく鶏口牛後の逆パターンだ
発表会やホームレッスンで
見知った顔ばかりで
ほかの学生の力量は分かっていた
だが
できる集団のなかにいると
おそらく普通レベルの自分が
ド下手に感じるようになった
比較対象が強敵なため
無意識にド下手なレナータをラベリングしていた
いくら練習しても
門下のほかの子より上手くならない
梅雨の時期には
よく血尿が出るようになった
ストレスだった
私と同じように伸び悩んで
前期中に退学していく学生は少なくなった
努力して課金してもらって入っても
モチベーションを高く保たなければ
生きていけない世界だ
一旦モチベーションが落ちてしまうと
それを覆すのはなかなか難しい
大体その時点でゲームオーバー
退学の道を選ぶのだった
なぜ上手くならないか
それを今考えると
自分が器用貧乏だったのと
先生の指導を深読みして
結局理解できないでいる事に起因している。
まずは器用貧乏について話そう
声楽もピアノもソルフェージュも
すべてそつなくこなす事はできた
先生の視点に立つと
なんとなく練習して
なんとなく演奏して
それで及第点を出していたのだろう
自覚はなかった
一生懸命練習した結果の及第点だと
自分では思っていた
私よりみんな努力をして
先生の指導どおり歌えるように
何度も何度も練習していたんだろう
私の何倍もの時間をかけて
師事している先生にも言われた事がある
「あなたは言われた事をすぐできる。
だけど努力して身につけた人のほうが伸びるの。
あなたは器用貧乏なのよ。」
音大生時代
先生がくれたヒントを活かす術を
私は持たなかった
これは今でも悔いている
次に深読みしすぎて
自滅していた事についてだ
おもひでぽろぽろという映画を見た人には分かるが
私は分数の割り算がすんなりいかない人間だった
3/4のりんごを1/2のりんごで割るってなんだろうと
おもひでぽろぽろの主人公と同じように
馬鹿みたいに真っ正面から疑問を感じていた
たとえば
「そこはもっとagitatoでeの発音に気をつけて」と指導されると
多分ほかの学生より無駄に深く受け取っていた
深く受け取っていたわりに真意が理解できないままでいるから
演奏に迷いが生じる
やはり
何も考えずに言われた事をすっすっと
飲み込めるのだ
難しく考えず
ひっくり返して掛け算すればよかったんだ
「あなたは頭がいい子だから、
いろいろ考えちゃうのよね。
賢くない子だと何も考えずに、
言われた事をそのままやって
いつのまにか上手くなっていくのよね。」
頭がいいのではなく
頭でっかちで
ひねくれ者なだけ
ただ素直な子が伸びるのは
周りを見れば明らかだった
何も考えずに言われたとおりにやる
これはすごい才能だと思っている
それでも「賢くない子」には
なりたくはなかったし
なれやしない
要するに
私には才能がなかった
及第点しか出せない人間だったのだ
それを知っていたから苦しかった
そうこうしてるうちに前期試験が終わった
私の演奏を聴いた先生の感想は
もう少し上手く歌えるはずだよねだった
うん分かってた
所詮及第点だよね
なんだかいまいちなモチベーションのまま
夏休みに入った
夏休みで帰省した私は
ひとり暮らしを始めたせいか
5kgほど痩せていた
母はちゃんとご飯を食べているのかと
心配していた
彼氏とデートがしたいので
帰省期間は少し短かった
夏休みは東京で花火大会に行ったり
おいしいスイーツのお店に行ったり
彼氏との楽しい時間を過ごした
だが
私が彼氏との距離感が分からないまま
恋愛脳で突き進んだせいで
夏の終わり頃には
ふられていた
夏休みの終わり頃
急に母親が上京してきた
おそらく有給を取って5日間ほど
こちらにいた
母の上京の意図が掴めないまま
浅草や横浜をふたりで観光した
中華街でデザートの杏仁豆腐を堪能している時
ふいに母は言った
「つらいんでしょう。
音大辞めてまたほかの大学受験しなさい。」
私は驚いて言葉が出なかった
練習より彼氏と別れたほうがつらいし
高校3年間ほぼ勉強していないのに
受験しろだと?
なによりあれほど課金と努力をして
入った音大なのに…
毒親の意見はころころ変わる
支配系毒親を持つ私は
母に振り回されるのに慣れすぎていた
母に反論のひとつもできないまま
いつのまにか
先生のお宅に親子でお邪魔して
退学する旨を伝えていた
毒親の中でも支配系毒親は
良かれと思って
自分の考えを子どもに押し付ける
そしてなにより
自分と子どもの境界線が曖昧だ
自分の一部として
子どもがいるような感覚なのだ
母ビジョンで考えてみる
夏休みに痩せて帰ってきた
血尿が出ている
レッスンの事で悩んでいる
よし
音大を辞めれば万事解決!
こんなところだろうか
大きなお世話だ
私はまだ踠きたかった
自分には才能がないんだと落ち込み
弱っているところに
退学話を持ちかけられた
実際苦しくてつらかった
だから母の甘い言葉が胸に刺さった
母の言うとおりにしていれば
きっと道がひらけるはず…
一度は解けたと思っていた
母娘の呪縛は健在だった
タイミングやメンタルの状態が噛み合えば
いつでも共依存に持ち込まれてしまうのだ
私はまた母という繭の中に取り込まれた