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内に秘めた決断


此処にはもう居られない。

そういう思いが、会社にも人間関係にも住居にもある。
今まで居心地が良いと思っていたはずの全てに
急に違和感を覚えるようになった。

突然だった。
私、此処じゃないんだ。此処に居てはいけないんだ。
そう気づいた時に、泣いてしまうような動揺があった。
全部が言葉にしにくいような衝動だった。

終わりにしようとする為の今のようで
全てを始めようとしている今でもある。

見方によっては両極の今だから、
どこにも地に足つかない今だから
そういった不安定な不安が絶えずある。

同い年の人が子供を抱いて来店した。
その時、私にもあったかもしれない未来に
思い馳せたりしてみたけど、きっと違うんだと思う。
いっそのこと何か、女らしい幸せとやらに
落ち着いた気になってみた方が楽なのかもしれない、
幸せなのかもしれないって考えたりもした。
自分だけを軸に自分のことだけ考えて選択するのって
かけがえないように思えて、かなり難しかったりする。
自分を思うよりも、誰かを想うことの方が圧倒的に
思考や選択が楽だったりする。
もちろん家庭を選んだ同い年の人達には
覚悟やその他精神的な所で及ばない前提でだけれど。

だけど、違う。
身を固めるみたいな感覚で、
そういう選択を私はしない人間だった。
取捨選択ってすごく労力を使うことで
誰かの作ったレールだけ歩いている方が、
年相応の生き方している方が、
向かい風を受けずに生きていける。

でも気づいてしまった。
24歳にして自我に目覚めたような、
そんな感覚だった。

変えようとしているもの全てに対して、
私の決断は話していない。
止めようとする力に屈しないだけの意志の強さはあるけれど、全て決めてから話そうと思っている。
わかりきった言葉を受取る労力を
行動することだけに使っていたいと思う。

私、私のことを諦められないの。
居心地よかったはずの全てが諦めのように
思えてきてしまったの。だからごめんなさい。
そう、皆が寝静まった頃に家を出ていくような
感覚で動いている。

今だって一息ついてしまえば、
現状を維持しようとする生存本能的なものが、
ここにとどまれと言わんばかりに
一気に動かなくなる力が働きそうな気がする。

だけど私そのハンドルから手を離すな。
行動することに、全力で重いハンドルを回し続けろ。

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