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『何者』 朝井リョウ

『何者』
朝井リョウ 2012年 新潮社

ときどき、様々なことを思いつく前に読み進める手が止まらない小説に出会う。そのときの自分に刺さるからだと思う。
『何者』はまさにそんな作品だった。

黒スーツと黒髪、手にした鞄には履歴書にエントリーシート、SPIの参考書。
青い背景にすまし顔を捉えた無機質な証明写真は自分の何も表していないと思いながら、履歴書の登録ボタンを押す。そういう日々を送った人が多かっただろう時期。

就活はしない。社会の潮流に流されるのは嫌だから。それ以外にも道はあるのに就活就活って、想像力が足りないのかなって思う。
物語序盤に言い放たれた言葉だ。
語り手の拓人はひそかに辟易する。スーツを着て就活することを選んだ人を、どうして特別でないと言い切れるのだろうと。想像力のない人間は苦手だ、と。
そうかもしれない。
だが誰かのことを苦手と言い切る時点で、誰かが大切にしている何かを嫌いと言い切る時点で、想像力は欠如している。そこのあなたも、この私も。

本書は、分かりやすく衝突する壁、かつある程度同じ方向への頑張りを評価される受験とは別のベクトルで生身の自分を試される就職活動を例に、自分をさらけ出す一歩を手伝ってくれる。
優等生のような解説だが、この小説はそれでいい。
私を認めて、人に開示する。この一生続く、人によってはシンプルがゆえに1番労力のいる努力への後押しは、比喩で飾られない方がいい。

いつだって舞台に上がらなきゃ始まらないの。
上がろうともしないで、スポットライトの下で大声を張り上げる人を客席の暗がりからじっと捉えてあれこれ評しても、だれも見ていないの。
端っこでもいいから舞台に上って、セリフに変えてみなくちゃいけないの。
頭のなかの傑作を読んでくれる人はいないんだから。
noteに投稿する文章みたいに、推敲なんてしていられないの。

舞台から客席はよく見えるんだよ。

そして想像したい。
自分の夢ばかり追えなかった瑞月の、内定をもらうまでの胸中を。
大学に進学する選択肢を持てなかっただれかの、就活という言葉への思いを。
私たちは、描かれない思いと描かれない人に囲まれて生きているから。

もうひとつ思うことがある。
私は後付けじゃなく、いまの自分を形成する確固たる理念で進路を決定した人を知っている。
すごいと思う。私にはないものだから。1年前の私には、1年前の私が背負ってきた21年間分の私には、そして22年間分を背負ってきたいまの私にもないものだから。「すごい」という言葉に何の他意も込めようがない。どうしても憧れる。
だけど私は知っている。その人が後付けの理由を使って、何かしらの決定を立派に見せる瞬間もあることを。人生とは結果論である部分も多い。
だけど、そこは重要じゃない。
人生は結果論。真理だと思う一方、社会に出てもいない22歳の若輩者の口から飛び出して肯定される言葉ではない。たぶん鏡に映したら、頭でっかちのお化けがいると思う。
本当はとっくに気づいていた。そういう自分という身一つで生き抜いていかなければならない覚悟に似たものを、もう一度真っ向から突き付けてもらった。

がんばらなきゃ。
何ものも介さず、何者でもない自らの口で瑞月はそう言った。
大切なことはいつも、SNSや人の口から咄嗟に出る言葉に埋もれていく。私も切り取って、埋めてしまうことがある。だけど埋もれさせたくないともずっと思っている。本当は叫ぶ自分がいることに気づいている。
拓人は大丈夫だと思う。人から出る「がんばらなきゃ」こそが真実だと思えるのなら、きっと大丈夫。

4月から、自分の線路を自分で見つめて走っていく。

がんばらなきゃ。

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