「発言の自由」はどこへいくのか
インターネットが普及し始めてから、毎日大量の情報が流れています。
その中で、度々「炎上」することが起こります。
「発言の自由」という言葉があるのにも関わらず、
なぜ「炎上」をしてしまうのか。
誰かが、どんな発信をしていようが、その人なりの見解があって、
それが正しいとも、答えとも言っていないのに、
集中攻撃にあってしまうのは、なぜだろうかと、炎上するたびに
感じてしまいます。
確かに中には、多数の人が見ても炎上するだろうという内容の発信を、
無意識にしてしまう人たちが一定数います。
悪意がある切り取られた内容の一部だけを見て、
反応してしまう人もいるでしょう。
これら以外で、ただの、一意見に対しての炎上には、
かなり違和感を感じてしまいます。
一意見は、あくまでも意見であって、
答えではないからです。
そもそも、自分の見解を誰にでも分かりやすく伝えることが、
できる人は少ないです。
書き手が伝えたいことと、読み手が理解している内容が、
異なってしまうことは、仕方がないことでしょう。
書き手が、どんな視点や見解で書かれているのかを、
100%理解しているのは、書き手本人しかいません。
読み手は、「たぶん、こうではないか・・」と
自分なりの解釈のもとで、理解していくしかないのです。
「発言の自由」という言葉が、本当に理解できているのならば、
炎上は起こらないはずです。
インターネット上で、発信するばかりではなく、
もっと生のコミュニケーションを増やしていけば、
自分が見えていなかった視点や思考を知り、相手を思いやる
気持ちが出てくるのかもしれません。
この内容も私の一意見です。