砂色の蛙(後編)
おなかいっぱいごはんを食べ、体にしっかり膏薬を塗っていたおかげで、一日目は楽なものでした。
ぎらぎらのお日さまが沈んで空気が涼しくなり始めるころ、砂蛙は小さな岩の陰にキラリと赤く光るものをみつけました。
近づいてみると、それは珊瑚のように赤い色をした、とてもとても小さな蛇でした。
蛇は蛙の天敵ですが、この蛇は体が小さい上たいそう弱っているようすでしたから、砂蛙はためらいなくそれのすぐ近くに歩み寄りました。
砂蛙に気づいた蛇は、苦しそうなシューシュー声で呻くように言いました。
「わたしは珊瑚蛇。ヒヨケムシと闘って怪我をしてしまったの。動けないから、ぎらぎらのお日さまに焼かれたら体が干乾びてしまうわ」
砂蛙は少し考え、それから緑蛙の日焼け止めの膏薬を取り出して蛇の体に塗ってやりました。
「こうしておけばお日さまに照らされてもだいじょうぶ。動けるようになるまでゆっくり休むといいよ」
珊瑚蛇は喜び、シューシューいう声で何度も砂蛙にお礼を言いました。
蛇に別れを告げた砂蛙は、涼しい夜の時間を元気にぺたぺたと歩き続け、やがて砂漠の二日目を迎えました。
出かけるときにたっぷり塗っておいた膏薬も少し剥げ、ほんの少し体がぴりぴりするように感じました。
お日さまはまぶしく、砂漠の砂は体に焼け付くようです。
でも、まだまだがんばれます。
一心に歩くうちに、なぜか急におなかがしくしくと痛み出し、これはグリーンジュースを飲むしかないな、と思ったとき、少し先の砂のくぼみからだれかが呻く声が聞こえてきました。
近づいてみると、それは粘土のような橙色の体をした大きく不気味な虫でした。
何より恐ろしいのはそのあごで、砂蛙の体より大きなはさみがついているのです。
蜘蛛のようにもサソリのようにも見えるその虫は、しかしたいそう苦しんでいるようすでした。
「おれはヒヨケムシ。蛇の毒にあたって腹が痛くて死にそうだ。早くあっちへ行ってくれ。死んでいく姿をだれにも見られたくはないから」
砂蛙は少しためらい、自分の腹痛は死ぬほどのものではないと考えて、呻いているその虫にグリーンジュースを飲ませてやりました。
ただ、ヒヨケムシが回復する前に大急ぎで立ち去ったのは、元気になったヒヨケムシに食べられたらたいへんと思ったからです。
おなかの痛みはそのうちに治まり、砂漠に夜が訪れました。
ひんやりした砂の上を、砂蛙は少しも足を止めることなく辛抱強く歩き続けました。
三日目になりますとさすがに砂蛙も喉がからからになり、雫石のお世話になることにしました。
雫石から搾り出されたのはたった一滴の水でしたが、それを口にしたとたん体中にすごい力がみなぎってきて、砂蛙は砂の上をぴょんぴょんと跳ね始めました。
面白いほど体が高く跳ね上がり、飛ぶような速さで砂の上を進むことができます。
いい気分で跳ね続けていたとき、突然足がかたいものにぶつかって砂蛙はひっくり返ってしまいました。
「いてててて」
見ると自分がけとばしたのは大きな石のようです。
そしてその石のそばには、ぽつんと黄色い丸いものが転がっていました。
しばらくしてそのものはもぞもぞ動き出し、砂蛙のそばにやってきました。
それは鮮やかな黄色の体をしたこがね虫でした。
「ありがとうございます。昨日からずっと、あの石の下敷きになっていたのです。蛙さんのおかげで命びろいしました。
お礼に大事なことを教えてあげましょう。この砂漠にはヒヨケムシという恐ろしい乱暴ものが住んでいて、出会ったものはかたっぱしから食べてしまいます。あなたも気をつけたほうがいいですよ」
そのヒヨケムシにはもう会ったんだふがな、と思いながら砂蛙は先に進んでいきました。
四日目はまだ雫石の水の力のおかげで砂蛙は元気一杯でした。
ただ、砂ばかりの砂漠を仲間もなしにひたすら歩き続けるのは寂しいものです。
だれかおしゃべりする相手がほしいなと思った砂蛙の前に、いきなりにょっきりと緑の柱がそびえ立ちました。
それはとても細長く背の高いサボテンでした。
小高い砂の丘の上に、たった一本だけ生えているようです。
「こんにちは」
と声をかけた砂蛙に向かって、サボテンは深いためいきをつきました。
「やれやれ、おまえさんは歩ける足があってけっこうなことだ。見てごらん、わしなんか、しゃべる相手もなしにずっとここに立ち続けているのだよ」
気の毒になった砂蛙は、ふと思いついて黄色蛙からもらったかたつむりの殻を割りました。
するとさざめくような楽しげなフルートの歌がりるりるとひびきわたり、しばらく砂蛙とサボテンは夢中になってその歌に聞きほれました。
歌が終わったとき、サボテンは今度は満足のためいきをつき、うれしそうにお礼を言いました。
「ありがとうよ。こんなに楽しい気分になったのは三十年ぶりだ。またこの次立ち寄ったときにも、楽しい歌を聞かせておくれ」
できればそうしましょうと約束し、砂蛙は旅を続けました。
五日目、砂蛙はそろそろ暑さと渇きで苦しくなってきました。
雫石を使うことができるのは明後日の七日目だし、もう日焼け止めの膏薬もありません。
ここはひとつ茜蛙のしゃぼんだまで体を軽くするかな、と考えた砂蛙の耳に、か細く弱弱しい悲鳴が聞こえてきました。
驚いてぺたぺた歩いていきますと、なんとそこは砂漠の流砂がいくつも集まっている場所でした。
流砂は、底なし沼と同じく一度はまったら二度と抜け出ることのできない、砂漠で最もおそろしいものです。
その流砂の上に宝石のように青く光るものが見えたので、思わず砂蛙は身を乗り出しました。
だって青は蛙にとっては神聖な色ですから。
それは青い羽をした美しい蝶でした。
「助けて!助けて!脚が砂に取られてわたし飛べないの」
砂蛙は夢中で茜蛙のしゃぼんだまを蝶に向かって飛ばしました。
「それにつかまって!そしたらきっと脚が抜けるよ」
言われた通り青い蝶はしゃぼんだまにつかまり、そのはずみで脚が抜け出て自由になりました。
助かった蝶はうれしそうにひらひらと羽を拡げ、砂蛙に優雅なおじぎをしながらしゃぼんだまとともに飛んでいきました。
しゃぼんだまはなくなってしまいましたが、青い蝶を助けることができたので砂蛙は少し元気になりました。
明日一日がんばりさえすれば、明後日は雫石の水を飲むことができますし、それに砂漠の旅の最後の日になるのです。
そして砂漠を越えた向こうには、瑠璃蛙さまの住んでいる雲霧森があるはずでした。
六日目、砂蛙は重い体をひきずるようにぺたりぺたりと歩き続けました。
ほとんど膏薬が剥げてしまった体に、ぎらぎらのお日さまがつきささってくるようでした。
「がんばらなくっちゃ。きっと雨降り森のみんなも、苦しい思いをしてるはず」
こうつぶやいて、砂蛙は自分をはげましました。
がんばってがんばってようやく日暮れを迎え、涼しくなった砂漠を歩いていますと、なにやら藍色の石のようなものがもぞもぞ動いているのに気がつきました。
それは藍色の甲羅をした石亀で、なんとさかさまにひっくり返って短い脚をじたばたさせていたのです。
もう声を出すこともできないほど石亀は弱っていました。
砂蛙は一瞬迷いました。
もう自分には石亀を助ける力は残されていないと思ったからです。
それでも、気がやさしくてまっすぐな性分の砂蛙に、石亀を見捨てていくことはできませんでした。
さんざん苦労したあげくようやく石亀の体を元に戻してやり、くたびれきった砂蛙はよろよろと旅を続けました。
あと少し。
あと少しで明日になります。
そうしたら雫石の水で元気を回復し、そして砂漠を抜けることができるのです。
とうとう最後の日の朝がやってきました。
朝日の中で砂蛙は雫石が露を搾り出すのを今か今かと待ちました。
もちろんその間も足は止めません。
ひたすら歩くことが砂蛙の使命なのです。
ようやく雫石が潤み始めたそのとき、疲れでかすむ砂蛙の目に、紫色のなにかがちらりと映りました。
信じられないことに、砂の中に小さなすみれが一輪咲いていたのです。
でもその花びらはほとんど萎れ、くきも葉っぱもぐったりしていました。
すみれは息も絶え絶えに訴えました。
「わたし、雲霧森からやってきたすみれよ。種だったわたしを鳥が運んで、うっかりここに落としてしまったの。やっと咲くことができたけれど、もう水がなければわたしは死ぬわ」
ああ、どうすればいいのでしょう。
雫石の水はたったの一滴。
それを飲まなければ自分はとうてい雲霧森までたどり着くことはできません。
かといって、雲霧森からやってきたすみれをこのまま死なせてしまってよいものでしょうか。
迷いはほんの一瞬でした。
心を決めた砂蛙は、雫石をすみれの上にかざし、染み出てきた一滴の貴重な水を振りかけてやりました。
みるみるすみれのしおれていた紫の花びらが開き、茎と葉っぱがしゃっきりとよみがえりました。
「雲霧森は、どっち?」
しゃがれ声でたずねた砂蛙に、元気になったすみれはうれしそうに答えました。
「あと半日と一晩まっすぐに歩いて行ったら、そこが砂漠の終わりで雲霧森の始まりよ」
あと半日と一晩!
それどころかあと数歩を歩くことすら無理なように思えました。
それでも砂蛙は、よろよろと力の抜けた足でやけつく砂を踏みしめました。
ひきずるように一歩一歩体を前に進めます。
しかしそれが限界でした。
はるかかなたにぼんやりと森の影が見えたように思った瞬間、砂蛙はとうとうぱたりと倒れ、なにもかもわからなくなってしまいました。
ひんやりとここちよい何かに包まれた感触に、砂蛙ははっと目を覚ましました。
目に飛び込んできたのは世にも輝かしい青い光。
まわりすべてが瑠璃色でした。
ひりひりうずいていた体中が、今は嘘のようにまったく痛くありません。
なんという静かなここちよい場所でしょう。
ぽとん、ぽとんと響いてくるのは水の滴る音でしょうか。
そのとき砂蛙は、すぐ目の前にある大きな金色の光に気づきました。
それはなんと、とてつもなく大きな蛙の目玉だったのです。
砂蛙は大きな大きな瑠璃色の蛙の、水かきのある大きな足の上に抱かれていたのでした。
「瑠璃蛙さま!」
金色の目玉がにっこりと細められました。
「よく来たね」
やわらかな、やさしく喉をふるわせるような声がひびきました。
「おまえの願いは聞き届けた。雨降り森には、もう雨が降っているよ」
安心のあまり体中から力が抜けた砂蛙は、瑠璃蛙さまの水かきのある大きな足の上でぐったりと目をつぶってしまいました。
自分は、やっと使命を果たすことができたのです。
魔法を使えなくても、きれいな色の体はなくとも、自分はみんなの役に立つことができたのでした。
「ありがとうございます、瑠璃蛙さま」
「いやいや、お礼を言うのはわたしのほうだよ」
瑠璃蛙さまはふかぶかとしたやわらかな声で答えました。
「わたしはこの雲霧森から外へ出ることはできない。困っているものを助けたくとも、どこに雨を降らせればいいのかわからなくて途方に暮れていたのだよ」
砂蛙は驚きのあまりぱちぱちと何度もまばたきしました。
そんな、瑠璃蛙さまが困っておられるなんて。
瑠璃蛙さまのやさしい声はさらに続きました。
「このカラカラ砂漠を越えてわたしに会いにくるものなど、めったにいはしないのだよ。だからこれからはおまえがわたしを助けておくれ。その美しい虹色の体にふさわしく、虹となって世界をめぐって、わたしに知らせを持ってきておくれ」
砂蛙はぽかんと口を開きました。
瑠璃蛙さまはなにを言っておられるのでしょう。
「だ、だって、ぼ、ぼくは、魔法の力も何もない、ただの砂蛙です」
笑うようなさざめきが瑠璃蛙さまの大きな身体を震わせ、砂蛙はそっと地面に下ろされました。
「ごらん」
すぐ目の前に広がっているのは、鏡のように静かな水面です。
そこに映ったものを見て、砂蛙はさらに大きく口をぽかんと開きました。
水面から自分を見返していたのは、とりどりの色に染まった美しい蛙の姿でした。
珊瑚蛇の赤。
ヒヨケムシの橙。
黄金虫の黄色。
サボテンの緑。
蝶の羽の青。
石亀の甲羅の藍色。
そしてすみれの紫。
それはまさしく虹の七色でした。
砂蛙は、自分が助けた生き物たちの色をもらって、虹蛙に生まれ変わったのです。
雨降り森の魔法蛙たちは、ようやくもたらされた雨の恵みに小躍りして喜び、砂蛙が使命を果たしてくれたことに心から感謝しました。
しかし何ヶ月待っても、ついに砂蛙は雨降り森に帰ってくることはありませんでした。
ただ、雨のあとに空に大きな虹がかかったとき、なぜか蛙たちはそこに砂蛙の姿を見たように思い、とてもなつかしくあたたかい気持ちになったということです。
Fin