いつか、青さに頼れない日はやってくる
最近ずっと思っていることだ。
一昨日、嶋津亮太さん主催の#教育のエチュード賞を知り、応募した。すると昨日の夜、嶋津さんがTwitterで講評をくださった。(レスポンスを早くしてくださって本当に驚きました、ありがとうございました。) (ビュー数とスキが伸びました。)
自分ができるだけ正直に書こうとしているのが伝わっている人が確実に一人はいる。その事実が率直に嬉しかった。
”諦めと鈍感野郎の照れ隠し”は私の自信作だ。だけどきっと私史上一番まとまりはない。タイトルもなんか頑張ったけど絶妙なコレジャナイ感。本当はもっと整然とした、きれいな文章を書きたい、書けるようになりたいと思う。けれど今の私には無理だ。私の頭の中はかなり散らかっているし心の中だってぐちゃぐちゃだから。
たぶん私の頭の中と心の中の整理のできなさは私の青さの象徴だし、私が人間として荒削りである事の象徴なんだと思う。
それが最高って思える日も、それが死ぬほど嫌になる日もある。私は一か月前からその気持ちを、私の未熟さをつづることにした。大人になった私がどう評価するか知りたいから。
それだったら日記で良いじゃんって?でもいくらRollbhanのリングノートに思いを書き連ねたって"スキ"とかコメントはこないじゃないですか。評価してほしいじゃないですか、未来の私以外の大人にだって。承認欲求が変に高いって?自覚はあります、ごめんなさい。
青さ、未熟さを武器に私は文章を書いてるんじゃないかと良く思う。他のサイトでバズった記事も自分の気持ちをあけすけに書いたものだったし。
でも青さにいつまでも頼ってなんかいられない。文章だけじゃない、いろんな面で。その自覚はある。就活を目前にしたらいくらなんでも自覚しますよ、さすがに。
もっともっと言葉が欲しい、賢くなりたい、いろんな経験がしたい、たくさんの人の話が聞きたい、たくさんの文章を読みたい。そしてもっといい文章が書きたい。
だけど怖くなる日もあるんだ。青さがなくなるのと同時に今の感性がなくなってしまうんじゃないか、今している葛藤が意味のないものになっちゃうんじゃないかって。矛盾してますよね、今だけは言い訳させてください、これも私の青さのなせるわざです。
いつか、青さに頼れない日はやってくるんだろう、それがいつかはわからないけれど。だけど駄々をこねてたってしょうがないから。それに頼らなくてもいいように精進したいと思います。がんばれ、私。
と#教育のエチュード賞に寄せられた人生の先輩達の素敵な文章に鼓舞された20歳女子大学生の話でした、お粗末様でした。
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