私の優しさなんて、大したもんじゃないの。
突然ですが私、周りの人から"優しいね"とか"よく気がつくね"とか"思いやりがあるね"って言われることが多い。…でも、なんか、そういう事を言われるたびに心が痛むんだ。
周りの人の怒りと悲しみのオーラが辛い
私は、周りの人が身に纏う感情のオーラに振り回されてしまう、それを防ぐために気を回しているというところも少なからずあると思う。
小さい頃から、人が怒っている場では耳を塞ぎ、縮こまっていた。そして自分が怒られるのよりも、他人が怒られる方が辛かった。悲しさも同じだ。自分が悲しい時よりも、他人が悲しんでるのを見る方が悲しい気分になる。
他の人が楽しいとか嬉しい時は逆にもっと楽しい気分になれるのだけど。私は典型的な"1人よりも、みんなで食べた方がご飯はおいしいね。"タイプの人間なんだ。
私の優しさは、私の感情、他人の感情のコントロールに利用される、それがどうして優しさと言えるの?
私の優しさはエゴだ
私の優しさ=エゴ、これに尽きる。
昨日はサークルの演劇のリハーサルだった。トラックから大道具を下ろす時、雨がかなり降っていた。雨の時の積み下ろしにはレインコートは必需品。だけど、1人の後輩が、レインコートを忘れてしまっていた。それをみた私は、自分の1枚しかないレインコートを貸した。…でも、それだってその後輩と個人的に仲がいいこととか、後輩の家は遠い→終電がなくなる→始発まで部室コース→お風呂に入れない→あまり濡れないほうがいいと考えた上での判断だし、なおかつサークルの活動場所から私の家が近かったことだって大きく関わってくる。私の家が遠かったら頑なにレインコートは貸さないし、さらに言って仕舞えば仲良くない人だったら貸してない。ほらね?私ってばちゃんと頭をグルグル回した上で優しさを行使してるじゃない。あー嫌だ嫌だ。
積み下ろしの責任者の子達にはお疲れ様とあったかい飲み物をあげた。"神of神"とか"えーもうみのりさん大好き"とか、喜んでくれたのが嬉しい一方で、胸がチクリと痛む。私の心の中が私を罵倒する。
"褒めてもらいたかったからやったんじゃないのか"
"濡れてる人はいっぱいいるのにどうしてその子達だけなのか"
"お前はいい格好したかっただけだろ"
…耳が痛い。全部その通りだから。でも、心配なのも本当だし、土砂降りの中みんなに指示を出してくれてありがとうという気持ちも本当なんだ。何もしなかったらしなかったで後悔もするのだと思う。多分。
私は聖人君子じゃない。
私の優しさはエゴだ。私の臆病さだ。優しさなんて、プライスレスであるべきものなのに。私は優しさを行使することでいろんな利益を得てしまっている。本当に優しい聖人君子みたいな人って、なんの利益が出なくても、自分の身を投げ打って人を助けることができる人でしょ?私の優しさなんて、発動されるのは主に親しい人だ。
もちろん見知らぬ人にも優しさが発動する時はある。優先席とかは譲るタイプだし、渋谷駅で見知らぬおばあちゃんが重そうな荷物を持って階段を降りていたときは代わりに持ってあげたこともあった。…でも、その時めちゃくちゃに疲れていたら?待ち合わせの時間に間に合わなそうだったら?私は席を譲らなかっただろうし荷物を代わりに持ってあげることもしなかっただろう。結局、私の優しさなんてそんなもん。私は優しくなんてない。
結局…
私の優しさなんて大したことないよ。結局私はね、いい格好をしたいだけなんだ。優しいねと言われる度にそう心の中で言う。優しいね、と言われる度に人を騙しているような気分になるんだ。
私はこんなに臆病で、エゴイストなのに。優しいと言わせてしまってごめんなさい。