善悪を超越したマルジャーナ【4】(追考編)/『アリババと40人の盗賊』
今回は、マルジャーナの犠牲心について考えてみました。
マルジャーナは、盗賊に命を狙われたアリババを自分が悪者になって助けましたが、決して自分の精神や命を反故にしたわけではありません。
実際、自分を捨てて誰かを助けるよりも、自分を生かして互いに喜べることをしないと、幸せは感じにくいのではないでしょうか。
結局、まずはそれぞれが自分の本分を人として全うしないと、人を敬う気持ちにはなりにくいのではないかと思います。
マルジャーナは奴隷で、社会の最下層にいて自由はありませんが、自らを助け、自分をも敬っています。だから目の前の現状を冷静に把握した判断と行動が取れるのでしょう。
育った環境によっては、子供の頃に大人から精神的に殺されかねない今昔ですが、マルジャーナのように子供の頃から少しでも良いことに目を向けて自分を精神的に養うことは大切で、なおさら大人になったら気持ちの切り替えをすることは大事で、マルジャーナのような善悪を超越した働きというものは、自分を殺す犠牲ではなく、自分を全うする勇気で、盗賊を危めるしかなかったマルジャーナの立場を理解せずに責めて彼女の手柄を反故にし、犠牲者にしてしまうようなことはあってはならないし、アリババは奴隷を使い捨てとは考えない人物で、そういった過程と理由があったからこそマルジャーナは我欲のない犠牲心を発揮したのだと思います。
クオジャ・フサインが自分の主だったら、マルジャーナはそのような行動は取らなかったのではないでしょうか。
心と言動が一致している誠実な人は、自分のことしか考えていない上に自分の人生の責任を取りたくない人には悪者扱いされがちな昨今ですが、この物語のマルジャーナの存在は、偽善に騙されず本善を取り違いしないようにというメッセージのようにも感じました。
(了)