「不登校からの逆転」を逆転させたい
「不登校からの逆転」というタイトルの記事を時々目にすることがある。
不登校から東大へ
不登校から社長へ
不登校から芸能人へ
と、不登校から一転、人生の勝ち組になりました。
という内容の記事だ。
たしかに東大に行ったこと、社長になったこと、芸能人になったこと自体は個人のやりたいこと突き詰めたこと、努力したこととして素晴らしいことだと思う。
しかし、「不登校からの」という枕詞は必要なのか?
ぼくは「不登校からの逆転」と言われない社会にしてこそ、本当の意味で『逆転』と言えるのだと思っている。
「逆転の逆」
つまりは普通。
不登校をネガティブと捉えなければ、
東大や社長などという肩書をポジティブとも捉えない。
大切なことは、いわゆる勝ち組になることではない。
自分が自分の納得した道を選ぶことだ。
それは誰かに評価されるものでも、誰かに逆転だと言われるものではない。
他人も、そして、自分自身も逆転だと思うこともないことが本当の逆転なのだと思う。
ひとりひとりが「君たちはどう生きるか」を考えて、自分の道を進んでいく。
当たり前のことのようで現代ではそれが逆転してしまっている。
ひとりひとりが自分と向き合っていく、それが当たり前となるように、ぼくらは今日も生きていく。
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