声を失くした体験記(1週間)
こんにちは、Mikiです。自己紹介はこちらから!
先日大風邪を引き、声が出なくなりました。ガラガラというよりカスカス。声帯をうまく震わせられず、内緒話みたいな息だけの声しか出なくなったのです。
もともとおしゃべりもカラオケも大好きな私。ついでに独り言も多い私。そのストレスは計り知れず…大事なものは失ってから気付く、とはよく言ったもので。
声を失くしたことで感じたこと、起こったこと、考えたことを忘れないように書き残しておくことにしました。(転んでもただでは起きないぞ…!)
声に代わるもの
声を失くしたことで気付かされたのは、普段『声』に頼って生活している場面が想像以上に多いということです。そんな『声』に代わるものとして真っ先に思いついたのが手話でした。
手話ができたら楽にコミュニケーション取れるかも!
と頭をよぎったものの、私が知ってるのはほんの一部。大学でかじった程度の手話ではあいさつや簡単な単語(好き、難しい、行くなど)で精一杯。
もしかして声が出ないのってコミュニケーションする上で致命的…?
例1)相手が慣れている場合
私はたまにカウンセリングで話を聞いてもらうことがあるのですが、担当のカウンセラーの先生が慣れていたこともあり、コミュニケーションはスムーズに行きました。
実は私が行っている所ではカウンセリングの予約もキャンセルも電話でしなければなりません。声が出ないからキャンセルしたいですって、声が出ないから電話できないという矛盾😇
散々迷った挙句、電話できないし、喉の痛み以外は元気だし、文章打って読み取ってもらおう!とキャンセルはせずそのまま行くことにしました。
※事前に検査キットでもろもろ陰性であることを確認した上で判断しています※
今回は、カウンセラーの先生にiPadの画面を見せて事情を説明し、キーボードで打った文章を読み取ってもらうことにしました。
初めての試みでしたが、先生は他の病院で聴覚障害の方とこのように筆談で話すこともあるとおっしゃっていて、思ったよりもスムーズにカウンセリングは進んでいきました。
Yes/Noで答えられる質問をくれたり、キーボードの音が鳴ったら画面に視線を向けて書き終わるまで待ってくれたり、先生の配慮にもとても助けられました。
そんな帰りにふと、先生が言っていた『聴覚障害』という言葉が浮かび
(こんな時手話ができたら色々話せるのにな)
と頭をよぎりましたが、すぐに
(でも相手が手話を読み取れなきゃ意味ないよな)
と少し悲しくなりました。
※すべての聴覚障害の方が手話ができるわけではないですし、口話や筆談などを使う方もいます。
例2)相手を戸惑わせてしまった場合 耳鼻科の受付
カウンセラーの先生にも「早く病院に行きなさい(苦笑)」と言われ、やっとの思いで耳鼻咽喉科に行くことにしましたが、今度は受付の方を戸惑わせてしまいました。
※声が出なくなってすぐに休日を挟んでしまったため、なかなか病院に行けなかったのです…
幸いWeb予約ができる病院だったので声を出さずに予約ができましたが、
(あれ?受付どうしよう?)
と気付きました。窓口で保険証を出したり問診票を書いたりするのって口頭でやりとりしますよね?
(問診の時もそうだ、お医者さんに自分の症状を言わなきゃいけない…)
声を出さずに済む方法を考えた結果、
(よし、印刷していこう!)
と思いつき、急いで自分の症状を書いて(A4用紙1枚分くらい)持って行きました。
受付の時は
“Web予約○○番の誰々です、喉が痛くて声を出すのが難しいです。初診なのですが今のうちに問診票を書いた方がいいでしょうか?”
と書いたスマホのメモを見せることにしました。
いきなりメモを見せられた受付の方は戸惑いながらも、スマホを受け取ってメモの内容を確認し、色々と説明してくれました。
空いている席に座って問診票を書いている間、受付の方とのやり取りを思い返します。
ふと疑問に思ったのが声の大きさ。なんとなく大きめの声でゆっくりめに説明された気がしました。
(なぜだろう?)
(やっぱり声を出せないと返事ができないから、理解してもらえているか話し手は不安なのだろうか?)
(なんかこういうやり取りどっかで見たことある気がする…)
スマホのメモで会話している某ドラマのシーンを思い出します。
(そうか、想くんと湊くんか)
(…(私は)耳は聞こえてるんだけどな)
問診票を書き終え、症状をまとめて印刷した紙に
“症状を印刷してきたのですが問診時に出せばいいですか?”
と書いて渡すと
「あ、じゃあこのまま受け取りますね」
と言われて問診票と一緒に回収されました。
診察の時、お医者さんは丁寧に説明しながら診てくれました。ここに書いてねと電子メモ帳のようなものを渡され、「夜は咳出る?」という質問に"出ます"とか、「一番辛い症状は?」には"喉が痛いです"とか書いて答えていきました。
診てもらった結果、幸いにも声帯ポリープなどは無く、1週間ほどで元に戻るだろうとのこと。元に戻ると聞いてホッとしたものの、
(1週間声出ないのかあ、、、仕事どうしよう、、、)
とまた別の問題に頭を悩ませることになります。
例3)慣れてもらう場合 会社のミーティング
幸い私の勤める会社では社内チャットが主なコミュニケーション手段なので、特に問題なく仕事を進めることができ、、、たわけではなく、社内ミーティングなどの声を出す場面もあるため試行錯誤の日々でした。
朝と夕方とに2回ずつ、Web会議ツールを使用したオンラインミーティング(上司主体のものと自分主体のもの)があるのです。
上司主体のものは、上司が画面共有して各案件の進捗確認をするため、自分が担当する案件の進捗を事前に文字で共有する必要がありました。
普段も発言内容は事前に考えておきますが、文字に起こすとなったらさらに事前に考えておく必要があります。話すよりも文字を打つほうが単純に時間がかかりますし、内容をそのまま話し言葉で書くのでは分かりにくいため工夫が必要です。文章という特徴を活かし箇条書きにしたり、→などの記号を用いたり、言いたいことをそのまま文字にするだけでは不十分なことに気付かされました。
自分主体のものは自分が画面共有してメンバーに連絡事項を伝えます。声が出せない間は議事録のほか、発言内容をテキストファイルに打ちながら実施しました。幸いメンバーたちも理解してくれて、メモに書かれていく文字を見ながら返事や挨拶をしてくれました。私は毎回指が攣りそうでした…笑
声が出ない=会話できない?
声が出せなくても先に挙げた代替手段で意外とまかなえるかも…?なんて思っていたのも束の間。
声が出せなくなって数日目のミーティングで上司がこう言ったのです。
「Mikiさんは今喉の調子が悪くて会話できないので先に〇〇さんから〜」
私がショックを受けたのは、喉の調子が悪いことに言及されたことでも、先に〇〇さんからの発表にされたことでもありません。「会話できない」と言われたことです。
もちろん上司は何の悪気もなくポロッと言っただけだと思います。でも、『声が出ない』と『会話できない』をイコールにされたような悲しい気持ちになりました。
声が出せないから発言内容を事前共有し、何かあればWeb会議ツールのチャット機能で発言しているのに、
それを『会話できない』とされたのがとてもショックだったのです。
※ここからは
会話=コミュニケーション
として考えていきます。
確かに、普段のように上司の問いかけに対して返事をすることや、説明することはできません。
チャットを使っても時間はかかりますし、今言いたいのに!と思って文字を打ち始めても打ち終わる頃にはすでに別の話題になっていたりします。
『声を出す(数秒)→聞いて理解する(数秒)→返答する』
これが
『文字に起こして伝える(数分)→読んで理解する(数分)→返答する』
となるので、時間がかかるのは当然のことです。言葉を選ばずに言えば面倒なのです。
話し手の努力と受け手の理解
(じゃあ手話なら声と同じくらいのスピードで意思疎通できるのでは…??)
声を使わない言語として再び、手話が頭をよぎりました。
…しかし手話も言語です。一朝一夕には身につきません。それに、もし私が手話で言いたいことを表現できたとしても、受け手がそれを理解できる必要があります。と、ここで当たり前のことに改めて気付かされます。
人と人とが会話する(コミュニケーションを取る)には、
1.話し手が自分の意思を表現できること
だけでなく、
2.受け手がその表現を理解できること
という2つの要素が必要なのです。
もっと言えば、話し手が文字に起こしたり反応スタンプを押してどんなに頑張って意思を表現しても、それを受け手が見ていなかったり、読めない内容だったりして受け手に伝わらなければ、『会話』はできないのです。
自分がどんなに一所懸命に中文や韓国語を勉強して表現しても、受け手(例えば日本語話者の友人たち)にとって分からない方法である限り、伝わらないのです。
話し手として声を失い、受け手としての学びに気付く
私にとっての言語学習は、話し手として自分の意思の表現方法を学ぶことと同義です。色々な表現方法を学ぶのは楽しいです。でもそれだけでは『会話』はできない、そんな当たり前のことに気付かされました。
だから、話し手としてだけでなく、
受け手としても、話し手の多様な表現を読み取れるように学んでいこう
と思うのです。
話し手と受け手が頻繁に入れ替わる『会話』。
話し手の皆さん、受け手が理解できる表現で伝えられていますか?
受け手の皆さん、話し手の表現を理解しようとしていますか?
『声』という表現を失くしたことで、『会話』の本質にまで思いを馳せてみるのでした。