ビジネス書を読むあなたへ

 ビジネス書,というと,すぐに役にたつ知識を与えてくれる本である。が,一方,ビジネス書は意味がない,という主張も多く見られる。noteを読む人の中にはビジネス書を好んで読む人間も多いだろうが,そのような方達に向けて,言いたい。「ビジネス書は意味がない」と。

「ビジネス書はマジで意味ない!」という言葉はそこら中で言われていることだが,ではなぜ意味がないのか。誰かが言っているから意味がないのではなく,導き出される結論として意味がないのだということを示せたらと思う。


なぜビジネス書はクソなのか

 まず,知識というのは,土台の上に成り立つ。使える知識かどうかなどの次元の話ではなく,知識には根拠がある。しかし,ビジネス書というのは,その根拠を取っ払って,「"使える"知識だけ書いちゃおう」という思想で書かれている。
 土台なく知識を頭に入れても,すぐに崩れる。むしろ,宙に浮いているようなものだ。崩れる以前に,落ちて砕けて終わりである。だからビジネス書で得られるのは,すぐに使える知識ではなく,すぐに忘れる知識でしかない。

 また,もう一つ言いたいのは,知識の価値というのは使えるか使えないかという基準で量れるものでは無い。いわば,ビジネスという文脈においては,知識は使ってこそ価値が生まれるのである。 「使える知識」と謳われるものは使わなければ,価値が生まれない。だから,そこらで言われるように,「読むだけじゃ意味ない」のである。
 無論,「行動しなきゃ意味ないぞ」などと薄いことを言うつもりは毛頭ない。むしろ,「朝起きたら◯◯しろ!」みたいなクソくだらない行動をしたところで,何も変わらないと言いたい。それで変わると思っているのなら,一生それを続けていればいい。


勉強すべきは土台

 知識というのは,本来,何かによって導き出された結論である。絶対的にそれが決められているのでは全くなくて,客観的な事実に基づいた推論によるものである。だから,例えば「リンゴ」というものが「甘くて赤いフルーツ」とされるのは,それが自分の経験によって導き出されているからである。その結論を,我々は知識と呼んでいる。

 さて,世の中にあるさまざまな言説というのは,そのほとんどが誰かからの引用である。先ほどのような「ビジネス書は意味ない」というのも,おそらく誰かが誰かの言ったことをよく咀嚼することなく,引用したのだろう。
 すると,つまり,それらの引用元の人間──つまりは,ビジネス書は意味がないという結論を導き出した人間が,どこかに居たのだということがわかる。では,その人間はなぜ「ビジネス書は意味ない」という結論に至ったのか。ビジネス書を読んでいるなら,まずはビジネス書の有用性から問い直してみても良いのではないのだろうか。そうして導かれるものが,「有用である」のか,「無用である」のかは知るよしもないが,せめてその導く力というのを鍛えても良いのではないか?


 答えを知りたいからと言って,ビジネス書を買ったとしても,答えの本質はわからない。それを理解できるほどの土台があなたにはないのだ。知識も,それを理解する筋肉もない。あるのは,答えを知りたいという欲求のみである。

 ならば,私が思うに,読むべきは古典である。大抵,いわゆるビジネス書が語る薄〜い内容は,古典にもっと深く書いてある。そして,その考えに至った過程や理由も,もちろん書かれている。名著というのは,名著だから名著なのである。ビジネス書のように,「◯万冊売れた!」とか,そういう実績があるからではない。

 「相手に好かれる話し方」を説明する本よりも,もっと根底の部分で人間力を高めた方がいい。いかに外面だけ良くしても,内面の腐った匂いは隠せないものだ。
 だから『ソクラテスの弁明』でもなんでも,とりあえず読んだ方がいい。『ソクラテスの弁明』で言えば,人間の薄汚さと浅はかさ,そして論理的説明の大切さとその無意味さなど,山ほど学べる部分がある。もちろん,哲学的な視点でみれば,もっと価値ある部分にも気がつけるだろうが,それは別にしなくたっていい。あなたたちは別に哲学を研究するわけではないのだから。


 かく言う私も,すぐに答えを押し付けてくるような浅い本は読まないようにしている。むしろ,読みたくない。「端的で分かりやすい」とか,万人受けを狙っているような本は大抵面白くない。本来,読書をする楽しみというのは,自分に疑問符をつけてくれることではないのか。ブックオフに昨日も行ってきたが,並べられているのは「〜〜の方法」とか,「〜〜のワケ」,「◯歳からするべき10のコト」。どれも,すぐに役に立つように見えて,全く頭に残らない,意味のない言葉が羅列されただけの面白くもなんともない本ばかり。
 知識欲が駆り立てられるどころか,それを頭から押しつぶすような害悪である。もし「古典は難しそう…」とか思っているんであれば,このようなくだらん本ばかり読んでいるから,活字にも慣れず,考える力も付かず,いつまで経ってもビジネス書漁りから逃れられないのだと自覚した方がいい。怖くても,踏み込んでみればいい。恐ろしかった文庫本が,思っていたよりも難しくないのが良くわかるはずだ。


 さあ,ここまで来ればもう,ビジネス書などで語られるなんちゃって知識などではなく,その元となる知識──いや,考え方と言った方が適切かもしれない──というものを身につけるべきなのは,よくわかったはずだ。

 別に,始めから『善悪の彼岸』を読め,と言っているわけではない。しかし,せめて論文が参考文献として乗っているような,骨太な本を読むべきだと私は思うのだ。そういう点で言えば,ビジネス書だけど骨太,みたいな本があれば,そういうのから読んでみても良い。
 学問などは体系的に書かれている。だから,そういう着実に学んでいけばだんだん理解できるようになるような本を選んで,むしろ,キャッチーな本ほど遠ざけてみてほしい。とにかく,学んだらすぐに役に立つ知識なんてものは,ない。着実に,大元となる考え方を磨かなければならない。


最後に

 私もよく,「〜〜の方法」とかいうクソ浅い文章を書くことがあるのだが,ぶっちゃけそんなもの読んでも大して意味はない。しかし,なら私はなぜそんなタイトルを付けて文章を書いているのか,考えてみてほしい。

 その方が閲覧が増えるからである。至極単純なことだ。

 であれば,本屋に売っているビジネス書で考えてみてほしい。彼らは,私たちに知識を与えるために本棚に居座っているのではない。表紙の裏では嗤っているのだ。「ああ,カモがお金を担いで持ってきてくれた」と。

 そんなもののためにお金が払えるか? もったいないと思った方がいい。一般的な感覚では,無意味な文字が書いてあるだけの束の紙を買うのはとてももったいないことなのだ。せめてノートにでも使えれば良いが,デカデカと読みやすい文字で書いてあるせいで使えもしない。


 ボロクソに自分の記事を言いつつも,私は記事内で提示した知識が活用できるように,極力考え方から説明するようにしている。だから,そこら辺のビジネス書,──と言ってもビジネス書をちゃんと読んだことはないのだが,──よりはマシなもののはずだ。根拠はない。

 仕事ができる自慢を始めに書いている記事だが,なぜ仕事ができるのかの考え方を自分なりに分析した,良記事であると自負している。しかし,その仕事ができるようになる考え方の裏にあるのは,言葉や文章に書けないくらい抽象的な知識の蓄積によるものなのである。

 本を読む,というのは,そういう地道な蓄積なのだ。読書メモを取らなくたっていい。自分が時間をかけて読んだ「意味のある文章」は,わざわざメモして言葉にしなくても少しずつ心に刻まれる。
 私は小説をほとんど読まないが,本なら小説でもいいんじゃないか? よくわからないので,良いかどうかは知らないが。
 言哲

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