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カナダ人には分からない!留学先で日本人同士が固まる理由を分析してみた

こんにちは、ゆうです。「日本人は失礼だ。」「私がまるで存在しないかのように扱う。」と、先日知り合ったカナダ人が怪訝な顔でボヤいていました。

日本語学習をしているそのカナダ人は、HelloTalkという言語交換アプリを使いアプリ上で知り合った日本人とよくカフェに行くそうです。日本人からすれば、初対面に知らない人と会うのは怖いので、初対面の不安を和らげるために友達も一緒に連れてきても良いと彼は言うそうですが、高確率で日本人同士で話し出して、そのカナダ人はその場に存在しないかのように扱われるのだとか。日本人同士が英語で話す場合でも、カナダ人を差し置いて、日本人同士だけで英語で話すのだとか。

「なんで日本人はそう振る舞うのだろう?英語で話すのが怖いのかな?」

と思ったそうですが….

私は彼に言ったのは「英語学習者がいきなり英語ネイティブ話者と話すのが怖いという言語の壁の問題のせいではなく、日本人独特の人付き合いのルールの存在に気がついていないだけですよ。」でした。そしてこう付け加えました。「人付き合いをする時、日本人は無意識に人間関係を3レベルに分けるんです。金・銀・銅みたいなランク付けがあって、初対面のうちはまだ銅の段階だから、しかるべき対応をされただけです。」と。

「ウチとソト」の色合いが強い日本ならではの人間関係事情。
自分と同質かどうか?これが出発点。

語学留学に行った日本人が、日本人同士で固まることを批判する人や記事は非常に多いですが、本記事はその類には入りません。と言うか、別問題です。日本人同士で固まるのはメンタルが弱いから…とかの話ではありません。

日本人は日本人同士でも、「仲間内は仲間内、他人は他人」という態度を取り、そしてそれは自然です。極めて自然です。ただ、その対象が日本人ではなく、カナダ人など日本語が母国語ではない人に向いてしまったため、言語学習の問題として扱われたり、メンタルの強さや弱さの問題として勘違いされやすいのだと思っています。

英語を学んでいる皆様。「なぜ日本人は日本人同士で固まるのか?」「ネイティブスピーカーを前にしても、なぜ日本人同士で英会話し続けるのか?」と英語圏の人に聞かれた時、本記事の内容はきっと役に立ちます!

本記事のポイント
・「ウチとソト」の文化は自分と同質か異質か?が基準
・日本人が人付き合いする時、人間関係に金銀銅の3等級がある
・金は親しい人同士、銀は顔見知り程度、銅は赤の他人
・日本人は人間関係のランクに応じた適切な対応をするのが自然
・英語ネイティブの人は金銀銅の制度を知ると日本人に溶け込める
・日本人は英語ネイティブの人間関係のあり方を知ると日本人に溶け込める



1.日本人は人間関係を金銀銅の3ランクに分ける

日本には「ウチとソト」という概念が古来から根付いています。

例えば、侍の時代なら「外様大名」という言葉に見られます。建築にもその概念は見られ、日本の家はとにかくカーテンが多く、ウチとソトの間に明確な境界線を引くことで、家の中が見えないようにしています。一方、私が居るカナダではカーテンを使う家は少なめです。ウチとソトの間には境界線をあまり引きません。

話を進める上で前提を1つ置きます。日本は島国なので言語も文化も概ね似通っていて異文化や異人など「異質さ」が存在しない国です。だから同質のモノ同士が集まった「ウチ」というカテゴリと、異質のモノという「ソト」、という概念が発達しやすかったとしておきましょう。


日本の家屋にはカーテンが本当に多い。家の内側をヨソノヒトから隠す。


この「ウチとソト」という概念は、人間関係にも延長して適用されることになります。自分に近ければ近いほど「ウチ」。自分から遠くなれば「ソト」。そして「ソト」に向かうほど、異質度合いも上がっていきます。

親友レベル。心の中を何でも打ち明けられるような強い密接した関係。

顔見知りや知り合いレベル。職場の人間やよくお店で会う人など、金レベルほどの強いつながりは感じないが、赤の他人と切り捨てることはできない関係。挨拶を交わす、などの礼儀は欠かさない。

銅:他人。「世間の人は….」とか「みんな….」など一括りにされる。モブキャラとも。自分との同質度合いが薄いため、礼儀に則った行動をする必要を感じない。出る杭になってる人など、完全に異質な人間に対しては同調圧力などで制圧してしまうこともある。

われわれ日本人は、銅ランクの人々に対しては日本人同士でも冷たくしていたりしないでしょうか?故意ではなくとも、いわゆるスルースキルを発動しあたかも存在しないかのように扱っていることはないでしょうか?

ただ、面白いことに、日本人は情の民族なので地震や台風の影響などで被災した地域の人に対しては、顔も名前も知らない他人(銅ランクの人)であっても一時的には金レベルの対応をしてしまうのです。


金や銀ランクの人が出る杭になると銅ランクに下がる

このように、だいたいの日本人は金レベルの人には愛情をたっぷり表現し、銀レベルの人には礼儀を尽くし、銅レベルの人には冷たく対応するので、日本に長く住み内側から日本人独特の人間関係を観察した外国の方は「日本人は丁寧だけど冷たい」と結論ずけたりするのです。

余談ですが、日本人は人間関係のランクに応じた適切な対応を間違えずにするので、空気を読むのが上手い、とも言い換えられます。


2.語学留学の先では金銀銅システムがどう働くのか?

ここで言う留学は、日本人が英語圏など非日本語圏に留学した場合を指すのですが、金銀銅のランクシステムはどう機能するのでしょうか?

キーワードは異質度合いです。

短い間でも語学留学をされた方なら身に覚えがあるかもしれませんが、日本人同士で居ると快適ですよね。日本語が通じあえるから、という理由も当然あるのですが、それ以上に育ちや環境が同質であるという文化的背景を共有していて安心できるからだと思います。別の国の人と知り合う時、育ってきた環境が違うため、日本人同士で知り合う場合と比べて、異質度が大きくなってしまいます。

出身県が違えど日本で生まれて育ったからには、言葉が大きく違ったり教育が大きく違ったりすることはないので、みんな似たりよったりの子供時代、青春時代、社会人生活を送っていたりします。それゆえ海外に居る日本人は、「日本で生まれ育ったという事実」に同質さというか親近感を感じ、現地で知り会ったばかりの日本人同士でも、銀ランクからスタートすることになります。

もし日本国内で出会っていたら、銅ランクから人間関係が始まっていたことでしょう。そして悲しい哉、銅ランクがスタート地点の場合、よほど運に恵まれない限り銀ランクに昇進することはありません。日本国内で、電車でたまたま横に座っていた人やカフェで居合わせた人と、2回、3回会う仲になる、のと同じくらい難しいです。

海外で日本人同士が初対面で会うときは、いきなり銀ランクからスタートする、というのがポイントです。


海外で知り合った日本人とはすぐに仲良くなれるよ!


3.本記事の冒頭の状況を分析してみましょう

カフェの中でカナダ人1人と日本人2人。その2人の日本人は、お互い初めてかもしれないし、まだ1-2回しか会ったことがないのかもしれないし、もしかしたら既に仲が良いのかもしれない。

先程の理論に従えば、いずれの場合でも日本人同士の間では、人間関係は「銀ランク」以上となります。

対して、初対面のカナダ人との間に結ばれる人間関係は「銅ランク」です。

理由は、言葉だけではなく育ちまでもが異質だからです

前の章の繰り返しになるかもしれませんが、海外に居る日本人同士がいきなり銀ランクからスタートできるのは、47都道府県どの出身であっても言葉も教育も習慣も大差がなく、子供時代・青春時代・社会人生活どのライフステージを取っても似通っていて、だいたい同質だからです。


子供時代・青春時代・社会人生活など、同じ背景を共有していれば日本人は「同質」扱いしてくれる。ある意味付き合いやすい。

そして日本人は、人間関係ランクに応じた対応を遂行する人種であると仮定すれば、例えその場で話している言語が英語であろうとも、銅ランクの初対面のカナダ人と話すよりも、銀ランクの日本人同士で話すほうが快適なのです。加えて、相手の気持ちを考えたりとか倫理のことを考えず、単純に論理だけで考えた場合、目の前のカナダ人を無視して日本人同士で話すことに対して筋すら通っているのです。銅ランクのカナディアンは目の前にいても、空気感としては外様、よそ者、であると考えてしまうのです。

カナダ人を含め、非日本語圏の人はこのことを抑えておかないと、複数の日本人と同時に話す時、違和感を感じることになります。だからいつまで経っても、日本人は「フシギな日本人」だと思われるですし、双方の溝は埋まることがないのです。

しかし、相手の国に土足で乗り込んで、圧倒的に少数派である日本人独特の人間関係様式を理解することを求めるのは、いささか非礼ではないでしょうか。むしろ、我々日本人が相手の社会に溶け込めるように努力したほうが、よっぽど美しい印象を相手に与えることができるというものです。

4.じゃ、カナダ人の人間関係は?

実は日本人の人間関係様式と比べて驚くほどシンプルです。カナダはそもそも移民国家ですから、異質なもので溢れています。それゆえ、「異質か?同質か?」という発想がそもそも起きません。

電車に乗れば、聞こえてくる言語は車両ごとに違いますし、いや、むしろ席毎に違うレベルです。

そんなわけですから、「自分も相手も対等である」という考え方をするようになります。

よく、日本の縦社会に疲れた日本人がカナダのほうが働きやすいと感じるのもここに理由があります。「人と人の間に壁を感じない。」「上司も部下もフラットに接している。」と言う声をよく聞きます。対等なのです。また、異質さが前提に含まれているため、「みんな違ってみんな良い」的な考えになり、いわゆる個人主義が発達することになります。

ちょっと脱線ですが、一方の日本が縦社会になるのは、同質さが前提に含まれるからです。「同系列」という言葉がありますよね?同じ者同士だから、系列、すなわち序列が生まれ、結果として縦社会が生まれるんじゃないかなと私は考えています。

話を人間関係に戻せば、異質さが起点であるカナダは、基本みんなに平等に接するのが普通になり、あの人は自分に優しくするのに、こちらの人には優しくしないなど、人間関係にある温度差に敏感になります。

冒頭のカフェの例に戻れば、日本人Aは日本人Bに時間も目線も言葉も割くのに、私(カナディアン)にはその1割も割いてくれない!なんだこの温度差は!不公平だ!酷い扱いを受けた!と感じるわけです。

異質さを起点とした人間関係システム、同質さを起点とした人間関係システム。どちらを起点をするかによって、こんなにも差が出てくるのですよね。

というわけで、カナダに限らずですが英語圏に留学に行っている日本人への処方箋は「その場に居る日本人にも英語ネイティブにも、同程度の時間と目線と言葉を割きましょう。」となるわけです。

それと、その場に居る日本人を英語ネイティブにちゃんと紹介し、英語ネイティブを日本人に紹介することもお忘れなく。同質さから生まれた個人主義、裏を返せば、その場にいる一人ひとりが皆主役なので、それぞれが誰かを把握するように努めることは、大切なのです。

5.おまけ。金銀銅システムの良いところ

なお、カナダの人間関係は異質さが起点になっているので、人間関係は日本の金ランク銀ランクと比べると味気ないように感じます。「みんな違ってみんないい」の裏を返せば、「みんな異質だから僕は僕、君は君」なので、理解できなくても当然さ~と終始割り切った態度を取ります。


これにより、カナダ人は他人に情移りしにくいです。それゆえ、日本人同士によく見られる「情緒深さ」は英語ベースのコミュニケーションでは少なめになります。情ベースに慣れてしまっている私たちは、英語話者との人間関係には物足りさなを感じることになります。恐らく、海外永住者はこの問題に直面することになります。歳を取れば取るほど、故郷や故郷風のやり方が懐かしくなるため、終の棲家は日本を選ぶ人が多いのだとか。

同質さが出発点になっている金銀銅システムは、情緒深さを育みやすく、精神的な拠り所を生みやすいと、10年ほどの海外在住経験から私は思っています。


個人主義だと「情」は発生しにくい!?日本式人間関係の良さは情だが、同時に貸し借りの関係「義理」も生む。情が光なら、義理は闇。

まとめ

海外に行った日本人が、英語ネイティブを前にして、日本人同士で話をしてしまうのは、「ウチとソト」という文化的土壌で育った日本人からすれば極めて自然なことです。英語を話す勇気がないからダメなんだ、という精神論にすり替えられてしまうことが多いですが、文化的な理由のほうが大きいと私は睨んでいます。それだからこそ、「メンタルを強くしましょう」という正体不明・中途半端な対策に終わること無く、「自分の文化の理解と相手の文化の理解を深いレベルで推し進めることで人間関係の摩擦を取り除きましょう」という、多少なりとも実体の有る対策ができるのだと思います。


本日の記事、いかがでしたか?

皆様の語学の勉強の糧になったことを祈って。

それではまた次の記事でお会いしましょう!


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