非財務情報開示の自由演技とフィギュアスケートの規定演技
CDP共同創設者兼会長であるポール・ディキンソンさんのインタビュー記事が公開されています。
https://vimeo.com/989816754/66d7b090f5
ポールさんが2019年に来日された際、当時のキリンの担当常務と対談していただきました。
その時はお話が非常に哲学的で、正直、記事にまとめるのに苦労した記憶があります。
それもあって、今回、極めて具体的なお話ばかりで驚いています。
https://www.kirinholdings.com/jp/impact/env/engagement/cdp03/
非常に学ぶことの多い内容ですが、視聴する中で、以前から頭の中にあった「義務的開示」と「自主的開示」の関係性についての疑問が深まった感じがします。
CDPが、非財務情報の開示を開拓してきた貢献には、誰も異議は唱えないと思います。
しかし、その結果として様々な非財務情報の義務化が進む中で、CDPの立ち位置が微妙になってきていることに気づいている人は少なくない気がします。
これら、義務化されていく情報にのみフォーカスするのであれば、確かにCDPの存在意義は薄れていくでしょう。
しかし、企業が開示するべき情報には「義務的開示」と「自主的開示」があるはずで、そこを理解すれば、むしろCDPには新しいブルーオーシャンが広がっている気がしていたのですが、ポールさんのお話は少しそこからずれていました。
色々な情報開示がある中で、私はCDPとTCFDは大好きで、その好きな理由は、記載内容の自由度が高いことにありました。
その意味で、TCFDがISSBに吸収されてしまったのは、TCFDの本来の存在意義を理解していない謎の動きと捉えています。
企業が開示する情報の中には、厳格な基準で開示するべき情報がある一方で、「自由演技」がなくてはならないと思っています。
ここで言う「自由演技」とは、夢や意思の表明の部分です。
本来、投資家が企業に投資する理由のかなりの部分がここにあるはずです。
一方で、この夢や意思の表明の部分を、国や規制団体が規制することは、本来は避けるべきだと思います。
ここに規制が強く入れば開示した情報は判を押したようになるのは当然で、そこに熱意も工夫も表明する余地はなくなります。
本来、非営利セクターに位置するCDPなどの自主的な情報開示を則す組織は、この部分を担うべき役割のはずなのです。
昔々、フィギャースケートの規定演技は、丸い円をどれだけ正確に描くかを競っていました。
確かにそれは技術は正確に評価できますが、そんなものを見て、誰もエキサイトしません。
今の規定演技は、決まったことをどれだけ自由な表現の中で正確に、説得力を持って示すか、というものに変わっており、だから見ていて応援したくなるのです。
それと同じです。
国にできないことをやるのが社会アクターの仕事のはずで、国のフロントをやってどうするの?が正直な感想です。
そう考えると、色々な情報開示が義務化される中で、企業の自由演技をより促進し、投資家にさらに多様な立体的な情報の開示を提供する仕事は、誰かが担うべきです。
その意味で、TCFDがISSBに吸収されような流れは、どこかで逆転が必要です。
CDPだけではなく、TNFDや、多分それに続いていくはずの循環型社会に向けた情報開示を促進するアクターにも、企業の自由演技の場を提供することに注力してくれることを期待をしています。