第6回毎月短歌 田中翠香選
おはようございます。こんにちは。こんばんは。田中翠香です。今回、深水英一郎さんの表題の企画にご縁あって選者として参加することになり、「自選3首部門」と「題詠「肌」部門」でそれぞれ佳作3首、佳作秀歌2首、特選1首をそれぞれ選出しました。
以下、選出作品と選出理由を書いています。ということで、まず「自選3首部門」から。
(自選三首部門)
佳作(遠刈田温泉賞)
二回目のラストライブを見届けた帰路は十五のわたしと語る
(小石岡なつ海)
まず、1首目がこちらの歌。いやあ、いいですね。実にいい。普通、ラストライブって1回ですよね。でもこの歌は2回目なんですよね。ここが面白い。
この解釈は色々考えられるんだけど、十五歳の時にすでにこのグループのラストライブを経験していて、そのグループが再結成されたものの再び解散することになり、そのラストライブを聴いた帰り道ととらえました。なんとなくインディーズっぽい。
とりあえず確定的に言えることは、この主体はもう十五歳ではないということ。そして前回のラストライブから何年たったかは分からないけど、確実に今日まで積み重ねてきた時間があって、またこの先も色々な音楽に出会いながら自分の時間のを積み重ねていくということ。
あるアーティストが与えてくれた時間をゆっくり振り返るひとときを、「十五のわたしと語る」とまとめた見事な一首。
佳作(登別温泉賞)
赤ちゃんの飲みきりサイズであるとして小さき乳房褒められており
(山口絢子)
おそらく主体がある種のコンプレックスを抱いていたのであろう、小さな乳房に対する肯定感を与えてくれた瞬間を歌った作品……なのだけれど、やはりこの独特の表現が注目ポイントになるでしょう。飲みきりサイズ、っていう言葉を発見したのがいいよね。
いやまあ、飲みきりサイズって別に主体が見つけた言葉じゃなくて誰かからいわれたんじゃない?って返されたらそれまでなんだけど、その言葉を心に保存して自分の中で歌として昇華できたのは、やっぱり主体の手柄だと思う。
この歌の面白さは、主体に赤ちゃんがいてもいなくても、あまり読み方が変わらないところ。どっちにしろ、乳房への微かな寂しさを抱えている感じがするから。その心のつかえを魔法のように溶かしたのが、この比喩なんだと思う。
佳作(有馬温泉賞)
折り紙を教えてくれた祖母の手のかたちを探す火葬場の午後
(あおいそうか)
その他者とどんな記憶を介して繋がっているかというのは、当然ひとりひとり違うだろうと思う。いたって当たり前の話だ。そしてこの主体は、祖母と折り紙を通して繋がっていたのだ。
大人になって折り紙を折る機会はあまりない(保育園勤めとかだと違うかもしれないが)と思うので、基本的に読み筋は主体が子供の頃の話だろう。主体の今の年齢は分からないけど、基本的にはすでにその頃からある程度の時間は経過していると思われる。だから、これは過去の記憶だ。その時間の経過がどれくらいかとなるとなんともいえないけど、ひとつ確かなことがある。その間に、折り紙を教えてくれたという事柄を塗り替える以上に鮮烈な、祖母との関係はなかったのだ。
折り紙を教えてもらうのは、文字通り手づからの体験だ。そんな祖母とのきらめきのような過去を、主体は火葬場で探しているのだ。探しているのは骨ではない。主体の宝石のような経験なのだ。
佳作秀歌(銀山温泉賞)
髭を剃る少し猫背の長男がいよいよ背中で語り始める
(琴里梨央)
背中で語る男はカッコいいらしい。といってもなにも背中に口がついていて、そいつが語る訳ではなく(背中に口がついている人がいたらごめん)、就職や結婚などを通してなにかしらの風格が滲んでくるということだ。
さて、この歌の長男はどうだろう。いまひとつである。なんせ猫背である。猫背では、いまひとつカッコよさにかける。もっと堂々としていないと。しかし、そんな背中にさえ長男には人生の風格が滲んできたのだ。
そのアンバランスさをうまく調整しているのは、髭を剃るという男性性が滲むようなシチュエーションだからという事も大きいだろう。しゃんとした背中ではなく、猫背にも風格は現れるのだ。
佳作秀歌(箱根温泉賞)
武士として舞台に向かうオーボエを刀と構え肩で風切る
(水川怜)
これも比喩がうまい。オーケストラの楽器だと、形や大きさからいってもオーボエはかなり刀っぽさがあると思う。チューバだと形状がどう頑張っても刀には見えないし、コントラバスだと大きすぎる。
さて、そんな刀を構えて舞台に向かう訳なのだけれど、なんとなくこの演奏場所は野外の特設ステージなのでは?という感覚がする。理由は「肩で風切る」という比喩があるからだ。風を切って颯爽と舞台に向かうというシチュエーションは、おそらく室内より野外の方が似つかわしいのではないだろうか。
武士として向かうという比喩はもちろん、オーボエを刀に見立てるという発想が由来なんだろうけど、自分はステージへと向かう主体の潔さや心意気も含まれているんだろうな、と思った。なんとも爽やかな主体の後ろ姿が見える歌だ。
特選(野沢温泉賞)
迎え火は焚かずキュウリを丸かじり君は馬より風に乗るはず
(睡密堂)
今回の特選。だからまあ、めちゃくちゃいい歌なんである。
君、という代名詞がいい。相手は家族や親族ではないのだ。でも親しい誰かであることは間違いなくて、だからこそお盆に思い出しているのだろう。ふるさとの友人だろうか。
しかし、迎え火は焚かず精霊馬も作らない。ただこれはおそらくその夏の主体が迎え火を焚かず精霊馬も一頭も作らなかったというより、迎え火は焚いたけど君のために焚いた訳ではなく、精霊馬は作ったけど君のための精霊馬は作らなかった、という意味ではないかと思う。
相手がどこの誰だったかとか、いつどうして亡くなったかといった情報は全て削ぎ落とされている。しかし、読み手はそれを理由にこの歌を情報不足とはとらえないだろう。これだけの言葉で、相手の爽やかで大らかな人物像が生き生きと想像できるのだ。
(題詠 「肌」部門)
佳作(伊香保温泉賞)
陽だまりの匂いが肌にうつりそう膝でまどろむ仔犬をなでる
(くらたか湖春)
上の句の比喩がとんでもなくうまい。
家の縁側あたりにでもいるのだろうか。縁側にいて晴れているなら、基本的にそこは陽だまりでしょう。だから、主体は陽だまりの中にいる。ここまでは当たり前の感覚。
この歌のよさは、その光景を肌にうつりそうと表現したことだ。つまりは肌が温まっているシチュエーションなんだろうけど、陽射しの中に全身がとろけていきそうな心地よさがある。うまい。
ここに仔犬をもってきたのもいい。仔犬のまどろんでいる感じも見事に出ていて、自分も仔犬も陽だまりの一部になってしまいそうな、幸せな昼下がりという感じである。その一瞬の景を見事にとらえた。
佳作(熱海温泉賞)
肌色の絵の具は全て銀であるロボット兵士に支配された国
(深山睦美)
ファンタジックな感覚と、ジョージ・オーウェルの『1984年』のようなディストピア感溢れる近未来的な世界のバランスが絶妙。
絵の具が肌色なのはロボット兵士に力を握られており、その色がスタンダードになってしまったからなのか、それとも兵士の権力のせいで銀色が肌色と規定されてしまったのか。そこまで露骨に権力の風刺がされている訳ではないけれど、ひんやりとした感覚が襲ってくる歌だ。
ややもすると相聞に傾きがちな題詠である「肌」からこうした方向に発想を飛躍させ、ひとつの歌としてまとめあげたのは見事。ロボット兵士というのは何かのメタファーかもしれないし、将来の実景かもしれない。いずれにせよ、風刺として見事な一作だ。
佳作(玉造温泉賞)
裸より君のほんとが知れそうな袖から覗く日に焼けた肌
(小谷リノ)
君のほんと、というのは難しい。裸になれば本当なのかと言われたら、それなら物理的には何も隠せないだろうけど、心の内面ではどうだか、といった疑問がのこる。
ということでこの歌。おそらく主体も、裸になったら相手を全て知ることができるとは思ってないんだろう。でも、袖からのぞく肌がというのは相手に見せる部分ではなく、ちゃんとガードしているつもりだったのに、つい見えてしまった部分ということになる。だから、ついうっかり見えてしまった相手の本心に近い位置づけなのではないだろうか。
そんな一瞬に出会った背徳感と、隠せない喜び。それがこの歌なのだ。
佳作秀歌(酸ヶ湯温泉賞)
ぬかるんだ土に不時着するような抱擁でした素足のままで
(新妻ネトラ)
これもまた比喩が抜群にいい。
それで……具体的にどんな抱擁なの?と聞かれたらなかなか答えるのは難しいんだけど、とりあえずおずおずとして不器用に抱擁する光景が浮かんでくる感覚がある。
ぬかるんだ土に不時着するのはまあ難しいだろうけど、この歌からはその行為に対してあまり嫌な感じは受けない。どころか、ふわりと希望さえ感じさせる。
初めて付き合った恋人同士の歌として読んだけど、そこはかとなくボタニカルな感じ(土、という言葉にひっぱられたのかな?)も相まって、とてもピュアな作品に仕上がっている。
佳作秀歌(草津温泉賞)
その指がわたしの肌に触れた時なくした春の色が生まれる
(宮緖かよ)
これはどんずばで相聞の歌として読んだ。
恋人から肌に触れられて、その瞬間になくしたと思っていた自分の中の恋の感情が再び甦ってきた、という一瞬をとらえた作品ではないだろうか。
春の色、という表記が面白くて、どこか人間離れした失われた季節がまた巡ってくるような、そんな雰囲気さえ感じられる。それは単に恋愛感情がまた戻ってきたというだけではなく、自分の中の生命力に潤いが戻ってきたとでも言うべき、もっと大きなスケールでの喜びの感情である。
「肌」という題から、人と人との関わりの非常に深い部分にまで到達させた見事な一首。
特選(道後温泉賞)
前あきの肌着が少しさみしくて可愛い刺繍を入れて手渡す
(あおいそうか )
今回の特選。あおいそうかさんは自選部門でも選んだから、できたら違う人に……。などという考え方を有無を言わせず黙らせるほど、圧倒的な一首。
題詠が肌だから、当然ながら肌を直接詠んだ歌や肌色についての歌が並ぶ中、肌着というアイテムで勝負をかけてきた時点で勝ちである。短歌に勝ち負けはないだろと言われるかもしれないけど、勝ちである。
しかも恐ろしいことにアイテム倒れしていない。たんなる肌着ではなく、「前あきの肌着」なのである。この描写ができる時点で圧倒的なのだが、そこからさらに主体の感情と派生した行為を歌にのせ、きちんと定型でおさめている。素晴らしい。うますぎる。文句無しの特撰である。
おわりに
みなさま、ご応募ありがとうございました!寒い季節なので、賞の名前には温泉名をつけました。ぜひ行ってみてください。