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才能や強みは「自分」のことばかり考えているとわからない?ー才能はどうしてSkill, AbilityでなくGiftなのか?に着目すると見えてくるもの

突然ですが、英語で才能を表す単語は次のどれにあたるでしょうか?

(a) skill
(b) ability
(c) gift(talent)

記事のタイトルにも書いてありますね😅

すでに知ってる、聞いたことがあるよ、という人もいるかも知れません💐💐💐


でも、英単語のテストという意味で尋ねた訳ではないので、今日はちょっと踏み込んで、その意味について書いてみたいと思います。どうして才能がSkill, Abilityでもなく、Gift(talent)なのか?という点についてです。

日本語で「才能」というと、モーツアルトのようなごくごく一部の人が持つ特別な突出した能力というようなイメージがあります。

または、大谷選手、もう引退してしまいましたが羽生選手といった目覚ましい活躍をするような選手を思い浮かべるかもしれません。


彼らが世界のトップレベルの選手として開花するまでには、見えないところでの大きな努力の積み重ねがあったのは間違いないことと思います。同時に、彼らのような活躍を見ると、やはり「才能」といった言葉が浮かびます。


では、才能とは、彼らに見られるような突出した能力だけを指すのか?というと、決してそういう訳でもありません。才能についての理解からすると、それは、正確な理解ではありません。

例えば、Giftについてはこのような説明があります。

A natural ability to do something well often without making conscious efforts.

「意識的に努力をしなくても何かを上手に行うことができる自然の能力」です。


つまり、

「自然とやっていること」

「やっていても苦にならないこと」

「そこまで意識的に努力をしなくてもできてしまうこと」

「よくできること」

「やり続けられること」


といった点が才能(賜物=gift)の特徴を示している、と言うことができます。

誰でも、何かしら思い当たることはあると思います。


例えば、私の姪っ子の一人は歌が上手です。保育園でも小学校でも彼女が歌い出すと全体が引き上げられるのを気づいた先生が、いつも彼女をクラスの真ん中に配置するのだそうです。あるとき、私がクワイヤーの発表曲を練習をしていた時、あまり深く考えずに、姪っ子に一緒に歌ってもらったことがあります。姪っ子と一緒に歌っていると、練習が楽しくなっただけでなく、どうしても声が出ない箇所があったのですが、なんと、出なかった高音がでるようになった体験をしたことがあります。


ある友人は、お料理に賜物があって、毎回クリエイティブなお料理でサプライズさせてくれます。サラダに旬の果物(その時はイチゴや柿だった)がふんだんに使われて、しかも毎回それに合う手作りドレッシングが施されているのに感動したことがあります。彼女曰く、一生懸命頭を悩まして考えているわけではなく、人を招くことが好きなので、「『おもてなし』を感じてもらえて、かつ、旬の果物や野菜を活かしてできるちょっとワクワクするようなメニューはなんだろう?」という発想になって、自然とそのようなオリジナルのサラダの組み合わせが浮かぶそうです。彼女はそのことを特別に「クリエイティブ」と認識している様子もなく、「自然と」やっています。


ある友人は、小学校の時から洋服やヘアに関心があって、「おばあちゃんはもっとこういう色の洋服を着たら若く見えるのに」といつも思っていたそうです。小学校の移動教室の時には、クラスのお友達の髪の毛をセットをしてあげたらとても喜ばれて、気づいたら夜中になっていたそうです。「こういう色でこういうデザインの洋服を着ると、この人はもっと輝く」というイメージがわかるそうです。彼女は今、ウェディングドレスやスタイリングをコーディネートするイメージ・カラーコンサルティングをお仕事にしています。


デザインをお仕事にしているの別の友人は、コロナの制限があった最後の年に、その人をイメ-ジしたお花の絵を描いて、送ってくれました。そこに描かれたお花はその種類も色も形もどれも同じではなく、でも、その人を表現したそれぞれにぴったりのお花がそこに描かれているように感じて、とても感動したのを覚えています。


これらの例は、まさに「自然にやっていること」がよく現わされていると思います。

そして、まさに「賜物」=gift, talentという性質を表していると思います。

「賜物」(gift)とはどういう意味かというと、自分の努力によって勝ち取ったものではなく、「天から与えられたもの」という意味です。

それは「なんのために」「与えられた」のかというと、人の役に立つため、誰かを励ますため、人に愛を示すため、に与えられたものです。そのために「与えられたもの」=まさに、「贈り物」(gift)なのです。

私は大学で教えているので日々若い人たちに接しますが、多くの学生たちから、自分には特別な才能はないし、自分の強みもわからない、と言う声をよく聞きます。

それは才能に関する誤解から生まれている発言でもあるので、

先ほどお伝えしたように、突出したもののように見えなくても才能(賜物)とは、誰にでも与えられているもの、ということを伝えています。

同時に、今回改めて強調したいことがあります。

それは、

才能が「賜物」であり、「与えられたもの」と、捉え直してみると、才能は「自分のことばかり」考えているとわからないものではないか?ということです。

お料理の賜物がある友人は、みんなに喜んでもらいたいと思うので、メニューが浮かぶのだと思います。イメージコンサルタントの友人は、その人それぞれに与えられた肌の色や形を活かしてもっと輝いてほしい、という願いを持っています。

賜物は人のためになにかをしたい、という思いから、引き出され、活性化されるのだと思います。

自分自身のことを振り返ってみても、苦手だと思っていた英語でのプレゼンやスピーチが得意になったのは、南スーダンに派遣された時でした。内戦が終わったばかりの南スーダンという地を自分の目で見て、現地の人の話しを聞き、国の状況を少しばかりでも知れば知るほど、もっとここはこうした方がいいんじゃないか、という思いが溢れてきて、しかも、誰もそれに気づいていないということがわかってきたからでした。

自分が発言せざるを得ない、提案せざるを得ない、実行せざるを得ない状況におかれることになりました。気づいたらいつの間にか苦手意識がなくなっていました。殻から抜け出していました。自分は「有事に」強いタイプだとその時にはっきり知りました。そんな時期を経て、のちに、多国籍チームのリーダーに抜擢されることになりましたが、出発点はそんな課題意識が始まりでした。

今でも、自分の賜物は南スーダンにいた時に、大いに引き出されたと思っています。

イスラエル在住の日系アメリカ人ピーターツカヒラ牧師は、著書「いま備えよ!」の中で、こう表現しています。

「人には無限に近い才能、能力、職業への使命が与えられている。これが神の愛の表れだ。… 与えられた賜物を、すべての人が他の人に仕えるために使うことを、神の愛は意図している。これが神の目的を解き放ち、最終的に国々を変える神の愛だ。」(p.153)

そして、非暴力と不服従で植民地主義からインドの独立を勝ち取ったマハトマガンジーが残した言葉を紹介しています。

『自分を見つける最良の方法は、自分を捨てて他人のために働くことだ。』(p.150)

「いま備えよ!」ピーターツカヒラ著, ゴスペルライト出版, 2023年より


自分のことばかりを考えている時は、苦しくなってしまうことがあります。なにか箱に入ってしまったような感覚になることもあります。視野も狭くなってしまいがちです。人と比較しては落ち込んでしまいがちです。

そもそも、

人は、自分のためだけにがんばれるように創られてはないんじゃないんじゃないかな?ー改めてそんなことを思います。


逆説的に聞こえるかも知れませんが、きっと、人に目を向けることで自分の中の力が引き出されるのですね。

周りの人のために笑顔を返す、誰かに一言励ましの言葉をかけるーそんな小さいように見えることでもいい。一つ一つできることから実行していきたい。改めて自分にもそう言い聞かせています💐💐💐

ハレルヤ!!!
Hallelujah !!!

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