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【コラム】トランプ当選、混濁の世界、人間を守るために鍵を握るのは「認知領域」での民主的カウンターだと思う

 2024年11月5日(現地時間)にアメリカ大統領選挙は投開票され、共和党のドナルド・トランプ前大統領が当選を確実にしました。民主党のカマラ・ハリス副大統領は初の米女性大統領就任には今回は至りませんでした。

 今秋公開された映画「シビルウォー・アメリカ最後の日」に物語られるように、米国の分断は深刻化しています。民主党を代表とするリベラル派と、共和党を代表とする保守派に。

 トランプ氏が扇動した2020年の連邦議会襲撃。相次ぐ演説中の銃撃事件。広く根深く米国民の間で信じられる陰謀論と差別的言説。分断の向こう側とこちら側ではもはや同じ現実は見えていません。繰り返されるのは激しい差別と暴力の応酬です。

 一方、日本でも分断は少しずつ広がりを見せています。2022年の安倍晋三元首相銃撃事件、相次ぐ選挙期間中の候補者襲撃事件、貧困を理由とする闇バイト強盗事件など、暴力の応酬も始まっています。

 人間と人間の間に線を引いて、向こう側とこちら側で分断を煽る言説は、一見、単純明快で聞こえはいいものの、現実はもっと複雑で、分断線の向こう側とこちら側は連綿と一様に繋がり、絡み合っています。どちらかがどちらかに移行することも、身近な存在として関わることも、老いや傷病、障害をはじめ、身近に起きている現象です。

 平和主義者なので軍事用語はあまり使いたくないのですが、ロシアによるウクライナ侵攻で注目された「認知領域」という言葉あります。「認知領域」は、人間の脳内の思考や認識活動といった領域を、陸上、海上、空中、そして宇宙やサイバー空間の次にある戦場となりうる領域に位置付ける言葉です。いわば情報戦を空間的に再定義した概念と言えるかもしれません。

 インターネット空間の広がりで、嘘や噂をはじめ、フェイクニュースを流して相手国の世論を操作するという行為が戦闘行為として行われるようになりました。

 現在は基本的には国家間の紛争で使われる「認知領域」という言葉ですが、米国の分断の様子を見ていると、認知領域の戦いは各陣営において、民主主義を単純化してシステムチックに操作する目的でも行われているように見えます。

 米国では地方新聞の衰退が激しく、全国紙にあたる新聞が存在しない状態になっています。いわば読者が出資者である公共のジャーナリズムが生きていないのです。必然的に情報源はSNSを中心としたインターネット空間に移行していきます。

 ソーシャルメディアの性質として、プラットフォーマーが広告収入を得るために、消費者の時間を消費する必要があります。消費者の時間を消費するためには、消費者が気持ちいいと感じる情報を掲示していく必要があります。その作用の中で、消費者は自分にとって気持ちよい、そして情報を流す側にとっては都合のいい世界観に閉じ込められていきます。都合のいい世界観を形成して人間を閉じ込めて操作することが、認知領域の戦いの基本的な形態になっていきます。

 日本の民主主義もだんだんと劣化しています。しかし2024年衆議院議員選挙では日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」による自民党の裏金事件の報道を発端に国会やメディアでの追及が進み、政権与党を戦後憲政史上初めて衆議院で過半数割れに追い込み、革新野党と拮抗する形勢に追い込みました。

 日本では県紙レベルでの地方紙の廃刊はまだなく、全国紙も部数を減らしつつもまだ経営が危うい状況までは追い込まれていません。民主的な価値観を持つ公共メディアがまだ生きており、まだ民主主義の立て直しが可能な状況です。

 新聞のような公共メディアを購読している年齢層はおよそ50代以降となり、それ以前ではもっぱらソーシャルメディアを中心としたインターネットが主要な情報源です。公共メディアが公共性を維持できるタイムリミットは向こう20年程度が限度だと考えられます。

 「認知領域」という概念は、民主主義の立て直しに重要な要素になると考えています。「認知領域」では、その時点で権力を握っている領域に近い空間からも、支配するために都合の良いようになる要素としての情報が放たれる可能性があります。政府機関の広報だけでは、ジャーナリズムのような第三者の検証が入りません。

 しかし日本は現時点では公共のメディアと、ポリティカルな領域で人間を大切にする勢力が健在です。こうした民主的な機関に再び生命を吹き込む行為が重要になってきます。積極的に政党に政策を提言したり、時には政党の内側に入ったり、メディアに取材を依頼したり、企画を持ち込んだり、さらにメディアの内側に入ったりして、意思を持つ若い世代が継承していくことで、民主的機関に再び息を吹き込んでいきます。

 分断が支配しないようにするためには、良識と能力がある市民が、意識的に「認知領域」を理性的な空間である状態に守っていく必要もあります。具体的には事実を事実として共有したり、民主的で人道的な価値観を広めたりしていきます。その手法として、確立されている効果的なマーケティングの方法を用いたり、個人的に人を動かしたり、学習コンテンツの体裁を取ったり、エンターテインメントの形態をとったり、その時々や目的やアプローチする層や自分の得意分野、相手の価値観、時勢によって最適な方法は変化していきます。

 「認知領域」において人間の自由と権利を守る手法はまだまだ確立されていませんが、実際に試行錯誤していく中で徐々に確立されていくものだと考えています。また、「認知領域」でおこなわれた他の戦いの様子も研究しながら柔軟に取り入れていく必要があると考えています。そして、それぞれがある程度確立された方法を共有していくことも重要です。現代の社会は「認知領域」で戦える民主的なカウンターを求めています。

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