バ美肉で「女性の生きづらさ」体験 - 他者の経験理解にVR
バーチャル世界に入り始めた頃、私は初めて会った知らない人物に抱き付かれ、いきなり腰を振られたことがある。言葉も通じないし、アバターもなんだか不気味で大きい。そもそも「知らない人」だ。そんな何の関係性も無い人物が、片言の日本語で「カワイイカワイイ」と言いながら腰を振っている。私のことを何も知らない人間が、私の「人格」を無視して、「見た目」や「性」だけを見て一方的に消費している。人間としての全てを剥奪され、性処理に使われていることに、人生の全てを否定されたかのような悲しさを覚えた。
肉体的に女性である法定パートナーに、この経験を伝えたところ「それは多くの女性が感じたことがある生きづらさ。私もそういう目を(実社会で)向けられたことがあって悲しかった」と言ってくれた。パートナーは身長も小さかった中学生時代に、電車の中でいきなり見ず知らずの男性に腕を捕まれて怖かった記憶があるという。他にも「知らない人にじろじろ見られた」こともあり、「自分の人格を全て否定されて肉体だけを消費されているようで嫌だった」「女性からは男性にはあまり言わないけど、けっこうな女性たちがそういう生きづらさを抱えている」と語ってくれた。
私のVR性自認は間違いなく女性だ。しかし、肉体的表現である性自認はあまり重視しておらず、3年以上生きている「蘭茶みすみ」という個人としての存在自体がアイデンティティになっている。個人の存在を形作るのは、経験や思想、行動様式による人間としての個性であって、アバターのかわいさは自分で自分を表現した重要な要素ではあるが、それが個人の全てではない。私は女性だが、女性であることがメインではない。おそらく、自分の外見に自信のある肉体人類も同様だろう。
バ美肉で性を越えた場合に得るものは、異性の感じるポジティブな体験だけではない。他者と関わる以上、自分はバーチャル世界ではこの性として存在して意識を有しているので、ネガティブな体験もする可能性がある。「誰々が悪い」次元の話で終わらせず、純粋に他の属性の人間の体験を自分の実体験とすることは、相互理解の大きな助けになるかもしれない。せっかく自分で性を決めたのだから、私はその性をもっとリアルに体験して、世界や人間に対する理解の幅を広げていきたい。最終的に「何者にでもなれる」ようになれば、全ての属性による苦しみは、全て人類の共通認識になり、認識の齟齬による対立は無くなるフラットな世界ができるかもしれない。
私が下記のツイートをしたところ100RT以上拡散された。
いくつかの実体験や感想も寄せられた。
みつあみやぎこさんの「これまで想像でしか語れなかった異性のポジションがVRで生の体験として理解できるようになったのは結構革新的かもしれませんね」というコメントは新しい視点だ。法定パートナーの言うように、VRで受けた体験も、実際の女性と話してみると、実際に感じる生きづらさや性被害体験と近いことがわかってくる。他者の「生きづらさ」は言葉でどんなに訴えても、主観的だと捉えられて受け入れられないことも多い。それを「生の体験」として感じることができるVRの力は大きい。
現時点ではスマホVRが主流だが、報道機関のホームページでもVRを活用した報道を見ることができる。NHK_VRや朝日新聞のNEWS_VRなどがあり、海外の通信社などでも活用事例がある。
VRソーシャルサービス「VRChat」では、立体日本地図ワールド「JAPANELAND」の作者VoxelKei氏が、近視や乱視、老眼や色覚特性をVR空間で体験出来るワールド「NearSighted Classroom」を公開した。実際に行ってみると、乱視と近視が混ざった私も「確かにこんな感じだ」と納得することができた。他者と関わりながら、自分の存在も変えて体験できるVRソーシャルでは、他者と意見交換をしたり、有識者の話を聞きながら体験することができる。「空から日本を見る会」のように、今後はこうした「現実理解」「他者理解」のVRソーシャルの活用も重要になっていくかもしれない。
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