【NGOミニマム寄稿エッセイ⑤】支援するということ
いよいよ寄稿エッセイも最終回となった。今回のテーマは「支援」である。一般に、ミニマムを始め様々なNGO団体の仕事は「支援する」ことだと考えられている(実際には、文字通りの「支援」に限らず、それに関係する様々な仕事や業務、役割があることもここで確認しておきたい)。しかし、「支援」と一言に言っても、様々な形がある。また誰が支援するかによっても、この言葉の意味合いは大きく変わってくる。ここでは、対象の人々や集団、社会に対して手助けをする、または彼らにとって善となることを進んですること、という広い意味で定義しておく。
「支援」と併せて考えたいのが、「寄付」という営みである。この場合の寄付とは、支援者が支援団体に何らかの形で活動資金や物品を無償で提供することと定義しておく。NGOミニマムを初め、あらゆる支援団体にとって活動を行う上で一番の課題となってきたのは、資金と言っても過言ではないだろう。多くの場合、活動資金は支援者からの寄付によって成り立っている。逆に支援者の視点では、「寄付」という営みが、山岳少数民族の子どもたちのような、どこか遠くにいる人々を支援するチャネルとなりう流。
今回は「支援する」ということ、そして「寄付する」ということについて考察し、今後NGOミニマムの活動や北タイの山岳少数民族支援に携わりたいと考えている人に、その関わり方のヒントを提供できればと考えている。
支援するということ:NGOの世代論
「支援する」と一言で言っても、その方法は様々だ。様々な人々が様々な問題に、様々なやり方を持って、「支援」を行ってきた。デビット・コーテン[コーテン, 1990=1995]は、とりわけNGO/ボランタリー組織の支援のやり方や戦略の方向性の理念型を提示した。そしてそれらの理念型を、いわゆる社会問題の軽減から根本的な問題の解決へと向かっていくような3段階(4世代)の「成長」として整理した。これらをここで簡単に紹介したい。
第1世代:救援・福祉
第1世代の支援とは、支援の対象者にとって欠けているものを補う支援だ。言うなれば、「モノを教える」支援だ。もしそのコミュニティの人たちに食べ物が足りていなければ食べ物を与え、ノートが足りなければノートを与え、学校がなければ学校を建ててあげる、といったやり方である。
この方法は確かに当事者のニーズ(必要性)に直接応えることはできるが、このプロジェクトを実施している団体が支援をやめてしまえば、当事者の置かれている状態も元に戻ってしまう。
第2世代:地域共同体の開発
第2世代の支援とは、具体的な解決策を教え、地域共同体の自立を促す支援である。魚が足りなければ魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教える支援である。そのコミュニティに何か問題がある場合、どのように解決していけばいいのかを支援団体がコミュニティに教えたり、あるいは一緒に考えたりなどして、地域の自助・自立を促す方法だ。NGOの「地域開発」「コミュニティ」開発、ODA(政府開発援助)を通した国の技術移転などもこの世代に当てはまると考えられる。
確かにコミュニティの自立は促進できるが、問題によってはコミュニティ内部だけで解決できないものもある。例えば、あるコミュニティにおいて学校がないから子どもたちが就学できないという問題があった場合、コミュニティ内の自助では限界がある。支援団体と地域の大人が協力して村の中の「寺子屋」のようなものを作れたとしても、それは公式の卒業証明が出るような「学校」ではない。
第3世代:持続可能なシステムの開発
第3世代の支援は、問題の所在を明らかにし、地域や国のレベルで持続可能な制度や政策を整備していくというやり方である。先ほどの、あるコミュニティにおいて学校がないから子どもたちが就学できないという問題について考えてみる。学校がないのはコミュニティが自立していないからではなくて、学校教育の普及が進んでいない政府や公的機関の制度が原因なのである。だからこそ、支援団体が関係者を巻き込みながら、国に制度を改革させるよう働きかけ、今まで学校があまりなかった国境地域などにより学校を建てるような政策を提言する、といった方法が取られる。
第4世代:民衆の運動
第4世代は第3世代の支援と似ているが、その規模がさらに大きなり、国を超えた制度や政策、広くは社会の変革を目指すものである。第3世代の方向性を国を超えて(地球レベルで)実現するためには、「民衆」を動かすビジョンが必要となってくる。
今まで例に挙げてきた「辺境の学校」について考えてみよう。学校がなく子どもたちが学校に通えていなかったあるコミュニティだが、実際にはそのようなコミュニティはその国に限らず世界中に点在する。そのようなデータをもとに、全世界のすべての子どもたちが学校教育にアクセスできるように国際的な取り決めを行うよう進言する、社会運動を行う、それを推し進める、そして世界各国の政府関係者にそれを「当たり前」として認識してもらう、と言った活動が第4世代の方法となる。
寄付の集まりにくい支援
このように、デビット・コーテンはNGOによる「支援」の理念型を提示した。ここで念を置いておきたいのは、古い世代(段階)の支援が必ずしも劣っている支援であるわけではないということだ。冒頭で定義した通り、「支援」という営みは、対象の人々や集団、社会に対して手助けをする、または彼らにとって善となることを進んですることである。支援をする側としては、支援をする相手のニーズ(必要性)に併せて、適切な支援の形を選ぶということになる。
しかし、ここで大きな問題が発生する。一般に、世代が新しいものになればなるほど「寄付」が集まりにくいのだ。ここまで読んでくださった方は感じているかと思うが、世代が新しくなるたびに、「支援」の内容が抽象的になり、かつプロセスも複雑になってくるのである。言い換えれば、分かりにくくなるのだ。
「学校がないのだから学校を建てるお金が必要なので、寄付をお願いします(第1世代)」
これは非常に分かりやすいお願いだ。経済的に余裕のある方から、余裕というほどでもないが子どもたちのために何かしたいという思いのあるまで幅広く寄付を募れるだろう。
「学校がない地域が多いため、政府に政策を提言しようと思います。寄付をお願いします(第3世代)」
政府に何か提案するために、お金が本当に必要なのだろうか?と考えてしまう人は多いだろう。実際には、学校に通えていない子がどれくらいいるのか、どれくらいの学校を建てる必要があるのかをはっきりさせるための調査などから政府関係者に提言し当事者やステークホルダーを交えた話し合いにまで持ち込むなどするまで、様々な形でお金がかかるだろう。しかし、そのプロセスはあまりに複雑すぎて、自分自身であってもあまり想像がつかない。そのような「支援」の説明に最後まで耳を傾け、まとまったお金を寄付する人はどれくらいいるだろうか。そもそも、やり方そのものが「支援」らしくないと感じる人も多いだろう。このように、支援の世代が上がるほど、寄付も集まりにくくなると言われている。
「誰か」を支援すること、「私たち」のためになること
ここまでデビット・コーエンの世代論を取り上げ、支援にも様々な形があることを説明した。実際に自身が支援をしようと思ったとき、どのような支援をすればいいのだろうか。そう考えた際は、ぜひ世代論を振り返り、対象者のニーズにあった支援をしていただければと思う。
このコーエンの世代論において個人的に重要だと感じる点は、我々素人が想像する以上に「支援」にはソフトな部分が多いということだろう。ソフトな部分とは何か。それは、NGOを運営するための管理費用や、政策提言につなげるための調査費用、集会費用など、支援する対象に対して具体的な形(物品や寄付金、教育機会など)で直接的に還元されるものではない部分を指す。第3世代の支援も第4世代の支援も、回り回って支援対象者の利になる仕組みになっている。非常に遠回りであり、かつ効果が目に見えるようになるまで時間もかかる。そもそも、何を持って「効果」と呼べるのだろうか?寄付金合計額・就学率・識字率等、具体的な形で効果が測れる第1世代・第2世代の支援と、その点においても大きく異なるのだ。
しかし、ここであえて自分は強調しておきたい。高世代の支援というのは、支援する側にも回り回って利になることが大きい。もちろん、それは具体的な形ではなく、かなりぼんやりしている。高世代の支援は物質的な面では具体的ではない分、世の中の支配的な考え方や理念そのものを作り替えることができるからだ。
最近の国際NGOの支援について興味深い現象が起こっている。世界各国に拠点を持つような大きなNGOは、途上国の支援を継続しながら、先進国においてもプロジェクトを行なっているのだ。一般に、国際NGOオフィスに関しては、途上国のオフィスの場合はプロジェクト遂行拠点として機能し、先進国のものはファンドレイジングの機能を果たしてきた。しかし、支援が高世代化する中で、国際NGOは寄付を募るための先進国において、途上国と同じようにプロジェクトを遂行している。これは、国際NGOが社会問題として認識し、高世代の支援で解決を模索している事柄は、実際は途上国・先進国に関わらず起こっていることを物語っている。「子どもの貧困」「ジェンダー」「環境問題」といった分野は、国の経済成長度合いで定義される先進国・途上国といったカテゴリーを超えて、広く人間社会、あるいは地球全体の問題として認識されているのだ。
つまり、高世代の支援に対して何らかの貢献をすることは、巡り巡って支援する自分たちの社会に還元されるものでもあるのだ。この点を、これから何らかの形で支援に関わろうとする方々には理解していただきたいと強く願っている。
むすびにかえて
NGOミニマムへの寄稿エッセイということで、これまで5本のエッセイを執筆する機会をいただいた。実際には留学の予期せぬトラブルなどに見舞われ、とりわけ後半はかなり予定が狂ってしまったことをお詫び申し上げたい。テーマについても同様である。山岳少数民族の子どもたちの視点から垣間見るタイ社会の一断片をテーマにしていたはずが、かなりそれた話も多くなってしまったと感じている。とりわけ今回の「支援論」だ。最初はさまざまな実例を挙げながら文章を書いていたが、さまざまな方が見るという観点から、全体の約7割を削ったものが最終稿となっている。非常に抽象的な内容のみになってしまい、読みにくい文章になっている点は否めない。
今回の一連のエッセイで私自身が伝えたかった一貫するメッセージがある。遠いところの「誰か」を知るということが「自分」を知るということにつながるという点だ。このエッセイを読む多くの方にとって、タイの山岳少数民族の子どもたちは、まるで全く違う世界にいる人々のように感じるだろう。しかし、彼らを深く知ろうとすると、その中に小さな「自分」がいることに気がつくはずだ。NGOの視点で言うのであれば、それこそが本来の支援の出発点だといえよう。
あなたがタイに住むある少数民族の子に出会う。そこに小さな自分を見出す。彼/彼女の抱く葛藤は、いつかの自分の抱いたそれと同じかもしれない、韻を踏んでいるかもしれない。そこで、その子と関わろうと思う。支援という形であっても、そうでない形であっても。そして、そのやりとりの中で、その子もあなたに何か同じものを見出すはずだ。そんな相互作用の一助にこのエッセイがなれたのであれば、幸いだ。
最後に、この寄稿エッセイ企画を暖かく見守ってくださった小川さんに感謝を申し上げたい。どうもありがとうございました。