ポケットの中身とイマジネーションが変わる
2025年1月2日(木)午後3時。部屋のなかで過ごすことに退屈を感じていたので、思い切って外出しようと思った。とりあえず適当にフラフラ歩いて、イオンで買い物をすませて帰ろうと考えながら支度をしていた。いつもなら、パンツの左ポケットにはタバコ、ライター、携帯灰皿。右ポケットにはリップクリームとiPhone。ジャケットを羽織り左ポケットにワイヤレスイヤホン、右ポケットに鍵諸々を入れている。僕のパンツたちのポケットは役割が決まっていて、充電が100%になっていないと心許ないのと同じで常に決まった場所に、決まった感触がないとソワソワしてしまう傾向にある。
支度をしていたときだ、いつものようにパンツの左ポケットにタバコを入れようとしたが部屋のどこにも見当たらない。ついでにライターも携帯灰皿も見当たらない。どこに置いたのか数秒の間が空いて僕は思い出した。吸い切って買うのを忘れていたのだ、というより「買わなかった」。
年末には数少ない友人に「僕は禁煙する」と表明していた。「でも今年いっぱいだけは吸わせてくれ」とも伝えており、「今すぐやめられないのに禁煙なんて絶対無理だ」と散々言われた12月だった。しかし年が明けた瞬間、僕は全て(紙タバコ、ライター、携帯灰皿)をゴミ箱へ投げつけてあっさりやめることに成功….した….とまではっきりと言い切れない(だってまだ二日しか経ってないから)が、今のところ一息つきたいと思ったときに頭の中や仕草にタバコを欲している「ヤニ欲」は出てきていない。
そもそも僕はヘビースモーカーというほど吸っていたわけでもないし、むしろ一般的な喫煙者よりも喫煙する回数は少ない方だと思う。1週間に一箱消費する程度、付き合いで吸い始めて気づいたらずっと吸っている、どっかの典型的なやつだ。あっさり捨てられたのは、彼女から譲ってもらった「カメラ」がキッカケだ(厳密には彼女の妹から譲ってもらったもの)。
寂しく空っぽなままのパンツの左ポケットには、丁度いいタバコサイズのコンデジが入ることになったのだ。
買い物や散歩、喫茶店に出向くときにはいつもの持ち物に加えてカメラが常備品になった。不思議といい感触だ。iPhoneを常に持ち歩いているのだから別にカメラはいらないというが、「カメラ機能しかないもの」をわざわざ持ち歩くことに意味があるのだと昔誰かが言っていた。知人のフォトグラファーから聞いた話やnoteの記事の中にも似たようなことが書かれていたことだが、「いつもなら通りすぎてしまう風景や影、そういったところが急に気になる」という。
僕もまた、それを実感する。何百回と通った道や風景、その位置から見上げた空やビルの隙間を「一枚の絵」として切り取ろうとしている自分を見つけることができた。不思議といい感触、というのは新しい見方を手に入れた喜びの事を言っているのかもしれない。
元旦の夜に近所を散歩していたところ、ベンチを見つけた。家の中や街中では、家族と一緒に今年の挨拶や抱負などを話していたりと正月ならではの過ごし方を満喫していることだろう。そんな背景を考えると、このバス停のベンチはきっと「孤独なベンチ」なのかもしれないし、実は翌朝、このバス停から乗車する人たちの背中を押す「陽だまりのベンチ」なのかもしれないし、寒い中とにかく耐え忍ぶ「不器用なベンチ」なのかもしれない。
一前の絵に見えてしまったら名前をつけずにはいられない。僕がどういう心境でこのベンチを見ているのか、という環境も左右するだろう。とにかく僕は"カメラを持っていたから" この瞬間を撮ることにした。
まだ趣味と呼べるほど上手くはないし、そもそも上手い撮り方や写真がどういうものなのか理解や経験はまだまだ浅いものだ。
最近見たブルーピリオドというマンガ「あなたが青く見えるならりんごもうさぎの体も青くていいんだよ」とある。それをそのまま描くのだと。
心の底からいいと思えた絵(または写真は)きっと共感してくれる人たちが現れてくれる。たとえ型にハマっていた答えだったとしても、素人にしかない出せない表現だってあるだろうし面白いはずだ。わからんがな。
久々に面白いものに出会えた、僕はこの、これからの禁煙生活を楽しみたいと思う。