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自分が世界が変わるヨガ体験 11

ヨガ以外でも、識別がいかに大切か。昭和の時代に生きた人は知っている有名なCM「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」
令和の時代だとこう言いたくなります。
「コ◯ナワクチンやめますか?それとも人間やめますか?」

ヨガの道を歩んでいる人は、すべての人の中に神は存在するということを知っています。ですから、他の人を批判すること、欠点を指摘すること、コメントすることは、絶対やってはいけません。誰かへの批判や欠点は、実はそれを指摘した本人の持っているものなのです。スワミの言葉をお借りするなら、他の人を批判することは罪悪であり、難病であり、不治の病であり、この病に効く薬は存在しません。人への批判や欠点の指摘という罪悪は、いつか必ずその報いを受けなければならないのです。

真実は、テレビはもちろん、インターネットや書籍でも、見つけることはできません。静寂と沈黙の中で、内在神とも言うべき、直感や良心によって明かされます。

虚偽、不正、破綻、崩壊、犯罪、殺戮、分断、あまりにもあからさまで、今、世界で起きていることは、想像であり妄想であり空想であり、真実ではありません。これは、スワミご自身がおっしゃられていることです。外を見るから怖くて不安で心配なのです。外側には真実はありません。外を見るより、内側にある意識を見ましょう。そうすれば、自分は神に護られている自信と安心と至福を感じるでしょう。

戦時中であっても、犯罪が行われている最中であっても、一線を越えてはいけません。悪魔に魂を明け渡してもいけません。最高位の人間であるアルジュナは、長兄のダルマラージャを殺そうとしました。しかし、クリシュナ神がすかさずやってきて、アルジュナの行為を思い止まらせたのです。

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行動で迷った時の判断基準は、かかわる人すべてが嫌な思いをしないこと、ハッピーでいられること、何よりも敬愛するスワミが認めてくれるか。それで、決めればまず、後悔も失敗もあり得ません。

絶対、しなければならないことは、いついかなる場所や状況においても神の御名を唱え、神と共に話し、一緒にいること。カリユガ(邪悪で争闘の時代)においては、これが唯一の救いであると聖典で宣言されています。

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どんなに邪悪で恐ろしい出来事の中に身を置いてしまっても、すべて神の意思だと知ったとき、まるで劇場で映画を観ている自分のように、世界と自分を切り離すことができます。

もし、インドなど聖地で、サーダナ(霊性修行)やヨーガをしていたのなら、貴重な体験やインスピレーションは、日記やメモなど何らかの形で残すべきです。それらは、10年後、20年後、30年後と、役立つ聖典となるからです。

人生の目的はセヴァ(無私の奉仕)にあると感じたとき、欠乏や悲しみや不幸は一切襲い掛かりません。これは真実です。

肉体意識を捨て、心の要求を一切無視して、ただ誰かのため、生きとし生きるもののために、自分を捧げることができたら、こんな幸せはありません。

聖地で死にたいと思う人は多いです。私もそうでした。でも、肉体的に死ぬ場所が重要ではないんです。死に際して、神を想い、そのグルの御足に到達できるかが大切なのです。

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「あなたを感じることができれば、もう何もいりません。」そう、祈っていたら、スワミはジーッと見ていました。「私に、あなたを刻みつけてください。」そう、祈っていたら、スワミはダルシャンの帰りぎわ、真っ直ぐ私の元に歩み寄り、見つめてくれました。もう30年近く経ちますが、あのスワミの慈悲の表情は、私の魂に今も焼き付いています。

* きらめく美しいヨガ的生活の体験から得られた言葉をまとめました。

愛と優しさをいっぱいありがとうございます!