その人はどんな人なのか?を知る簡単な方法が1つあります。それは「あなたのお母さんはどんな方ですか?」と尋ねることです。母親は神様の生き写しです。そんな母親に対して描いている想いは、その人の人格そのものなのです。
シャンティ(平安)を維持するため、両目両耳を塞ぐのも役立つでしょう。でもあえて世界を見つめて、ものの味方を変えれば、真実を見ることができます。その真実の意味は何なのか?それは誰が筋立てたドラマなのか?これからどこへ向かうのか?内在の自己へ問いかけは、真理を明らかにします。
いつの時代でも、幸福で平和で愛に溢れた時代が来る前には必ず、大惨事がやってきます。この危機的状況の中で、人は罪か困難か、どちらか1つを選択しなければなりません。結論を言うと、罪を選んだ人は次の時代に生きられず、困難を選んだ人はそれを乗り越える強さと勝利と神の恩寵も与えられます。
彼等への慈愛により 私は彼等の心に宿り 輝く知恵の灯により 無知の暗闇を破壊する バガヴァッド・ギーター 第10章11節
ヨガの聖典でいう無執着はとても大切ですが、無関心という意味ではありません。特に、生死を分ける事態、善が悪に押し潰されかけている時、誰かが苦しんでいたり困って助けを求めていたら、すぐに行動しなければならないのです。この時、行為は無執着を超越し、天のご加護を得て至福へと導きます。
怒りとか、憎しみとか、妬みとか、絶対に人には向けてはいけません。どうしても抑えることができないようでしたら、神様に向けましょう。お返しに癒しを与えてくれます。
想念はきわめて強い力を持ちます。想念はその人の死後も存続続けます。それゆえ心に悪い想念を抱かぬことが大切です。サティヤ・サイババ
悪魔的人間は人間の守るべき道徳律を無視し、恥ずべき感覚の悦楽を追い、エゴと慢心に満ちて利己的な目的の為に他の人を傷つけることをなんとも思いません。彼は傍若無人に罪深い行動をし続けます。自己中心が彼の息吹であり執着は彼の背骨です。このような利己的な人を称して悪魔と言います。サイババ
ヨガ等、サーダナをしている高尚な人は、世俗ではお金も物資的財産も少なく貧乏な人が多いです。でも、そんな人ほど、ご自身とご家族の系譜をたどってみてください。必ず霊的な祝福の軌跡を見つけ出せます。逆に悪魔崇拝をしていう人の家系をたどると、綿々と続く残酷な悪行の系譜も明らかになります。
常に真実を告げる良心の声に注意していなさい。良心の声に従えばあなたは決して誤った道へ迷い込むことはありません。真理は純粋で汚れのない心から、良心のささやきとして聞こえて来るのです。 サティヤ・サイババ
神性をもつ者は 清純な心を持ち 慈悲深く 感覚を支配し 親切で
人を傷つけず 真実で正直である
魔性をもつ者は 正義も真実もなく 世界を破壊しようと凶悪な行動をとる
妄想と怒りに心身を委ねたまま 肉体的な快楽を求め
不法なやり方で富を蓄積する バガヴァッド・ギーター第16章1-3,8-12節
あらゆる修行はハートを浄化するためのものなのです。ハートが純粋になるやいなや、すべての真理が一瞬の内にハートに映し出されます。あなたが本当に純粋であるならば宇宙に存在するすべての真理があなたのハートに顕れます。サティヤ・サイババ
本当の喜びは、愛と真実に結びついた、優しく心地良く、力強く動じない、永遠のもので、静寂の意識からやってきます。そんな喜びが得られたら、この世の物は何も要らなくなりますし、この世さえ価値がなくなります。
愛と思い遣りのセヴァ(無私の奉仕)は、サーダナ(霊性修行)ではきわめて大切ですが、多くの責任や執着を背負い過ぎてはいけません。多くを背負い過ぎると、心配や困難が追加され、押し潰されてしまうからです。自分の内にいる神と笑顔で対話できるくらいの余裕と身軽さはいつもキープしておきましょう。
言葉は人の心を引き裂き、気持ちを傷つけ、人を殺してしまうことがあります。また、言葉は人を勇気づけ、命を与え、愛と癒しを与えます。言葉は、使う人や受ける人によって、爆弾にもなり、財産にもなりうるのです。だからこそ、私たちは使う言葉に、細心の注意を払わなければならないのです。
『真理をお恵みください。信念をお恵みください』
(ヴェーダの祈り チャマカム 第2アヌヴェーカ)
過去のことに思い巡らさずに 未来のことを思い患わない
そして現在のことは超然としている それがジーヴァン・ムクタ
(生きながらの解脱者)の徴だろう ヴィヴェーカ・チューダーマニ
不安になったら『バガヴァッド・ギーター』を開きましょう。今現在世界で起きていることの理由と答えは、第4章7・8節、第11章26~29節にあります。何度も言いますが、ギーターはヨガをやる人が読むただの本ではなく、神の声そのものです。心が澄んでいるいる時に読むと、直感や道標を与えてくれます。
心の中の思考が清らかなとき 行為は成功に恵まれる 心が清らかでない考えでいっぱいならば 行為の果実は腐敗する サティヤ・サイババ
解脱は大切かもしれないけど、お金欲しいし、トップに昇りつめたいし、豪邸やフェラーリ欲しいし、いい女抱きたいし、美味い肉食べたいけどダメなの?との質問。そのまま欲望を満たして大丈夫です。世俗的な欲望すべて味わった後におとずれる、虚しさ感じて初めて、解脱を求めるようになるからです。
若い頃、生きる意味って何だろう、本当の幸せとは何だろう、変わらない真実って何だろう、そう問いかけながら何度もインドへ旅に出ました。時間と距離とお金とエネルギーをかけて、やっとわかったのが、本当の至福と平安は、インドなど聖地ではなく、すぐ近くにある自分の内なるハートでした。
迷いや疑問や失望に陥った時、聖地やパワースポットに行けば、癒され安らぎを感じるでしょう。さらに、サーダナ(霊性修行)やセヴァ(無私の奉仕)の経験を重ねていくことで、悲嘆や絶望や苦難な時は、聖地ではなく今の場所で癒しや幸せを感じられるようになるでしょう。
当然ですが、カルマの法則から誰一人逃れることはできません。騙したり、盗んだり、傷つけたり、暴行したり、殺したら、何倍にもなって必ず本人に返ってきます。また、愛と純粋な想いと、安らぎと真実の言葉と、善と正義の行動の一致は、本人に神の限りない恩寵と慈愛とご加護をもたらします。
自分のグル(教師)に疑問を持ち始めてしまった生徒さんへのアドバイス。「先生、あなたの未来はわかりますか?」または「あなたは神ですか?」と質問してみてください。もし神聖な明確な答えが返って来なければ、離れた方がいいです。
一般に、子どもたちは、70歳を過ぎた人間は役立たずで、社会でも家でもお荷物だという印象をもっています。しかし実際はそうではありません。実に、熱意、勇気、精神的な強さは70歳を越えると増加します。心的能力と魂の強さは、人が70歳を越えて初めて頂点に達するのです。サティヤ・サイババ
ヨガをすることで、深い洞察力と識別力が付くのは本当です。深い呼吸をしながらポーズをとっていると、体に起きている変化に気付くことがあるでしょう。同様に、世俗の生活の中で、見る対象事物を意識するのではなく、見る者に意識を置いていると、現在起きている事の意味がわかるようになります。
霊性的・人格的向上の絶対条件があります。それは、幸せであることです。では、幸せとは何でしょうか?満足している人が幸せです。逆に、欲望を多く持っている人は、不幸であり貧しいです。幸せである人は、いつも笑顔です。その笑顔は、周りの人も幸せにします。
あなたはなぜ、パーダナマスカール(御足の礼拝)のためにスワミの身体の後を追うのですか?あなたのハートの内で私を常に視覚化して想い描き、何度でも礼拝することができます。そこから得られる恩恵は、霊的意識の中で行うのですから、身体意識の中で行うよりも、その結果は絶大です。サティヤ・サイババ
殺人犯のドゥンドゥカーリーがヴィシュヌ神がおられる天界に導かれ、アルジュナと敵対していた邪悪なカウラヴァ軍の最強戦士カルナは死の間際、クリシュナ神から直接祝福を受けました。これは不平等ではなく、あらゆる犠牲を払って、充満する神様だけに喜びを求めていた純粋さの結果です。
世界最古の聖典ヴェーダは、膨大な神聖な知識です。世界の全ての学識の起源がヴェーダで、権威ある学者達がヴェーダに答えを求めてきました。ヴェーダは時間と空間を超え、人類の幸福と平和と繁栄を与える、真理と英知の集大成です。ヴェーダは神から贈物で、純粋さと真実により恩寵が授けられます。ヴェーダのサンスクリット語の波動を聴くだけでも、心地よくシャンティ(平安)になったり、魂が揺さぶられたりします。
偉大になりたいという人がいます。素晴らしい事ですが、偉大な人は自分からなるのではなく、周りの人が決めるものです。ちなみに私は偉大な人ではなく、善良な人になりたいです。偉大であることは、それじたいゴールですが、善良であることは終わりがない努力が必要ですし、誰かに喜んで頂けます。
真の瞑想とは、ただ目を閉じて座り、何かを想像するものではありません。1つの御名とその御姿をハートに安置して、揺らぐことなく絶え間なく憶念することです。そうして初めて神性を体験できるのです。
変えることができると気付き、変えることができますように・・・
変えることができないことを、シャンティのまま受け容れることができますように・・・
『調べて体験して信じなさい』スワミが言われました。今の状況、マスコミ、人間、ビジネス、医療、食物、社会全体、ヨガ、神様など。
『神への愛』,『罪への恐れ』,『社会道徳』の3つの原理原則に従うな世俗や霊性や経済や科学や政治や芸術などあらゆる分野の発展が向上します。サティヤ・サイババ
全ての人の、直感力、想像力、識別力が今、試されています。そのためには、嘘と悪意と洗脳に満ちたTVや新聞などマスコミのニュースを鵜呑みにしない、できれば観ないことです。
この世で不幸なことは『誰からも必要とされていないこと』だとマザー・テレサの言葉。確かに、誰からも愛されない、必要とされないとしたら悲しいですよね。でも、この世の不幸以上に、魂にとって本当に不幸なことは、神様から愛されないこと、神様から離れていること、つまり神様を愛さないことです。
どこへ行こうとも与えられた義務を果たしなさい。私があなたの内にいて、あなたの一歩一歩を導いていることを知りなさい。これから先、あなたは様々な姿をとって現れる私を体験します。忍耐していなさい。やがてあなたに一切が与えられます。幸福でいなさい。サティヤ・サイババ
『私と帰依者との間の中で、それが間違っているか正しいかを気にしません。帰依者を守るためなら、私はどこまでも行きます。誰であれ絶えず私のことを想う者に対しては面倒をみます。』グル(師)は、人間でなく、神様でしたらこの上なく幸せです。祈りましょう。
想像力の神秘。自信に満ちて、強くて、美しくて、豊かで、幸せで、愛情溢れてます。まさにそうなります。お金を奪い、暴力で苦しめた、アイツが許せない、殺してやりたい。これは、アイツではなく、あなたが酷いやり方で殺されます。だから、怒りや憎悪や嫉妬のイメージはしてはいけないのです。
*きらめく美しいヨガ的生活の体験から得られた言葉をまとめました。
愛と優しさをいっぱいありがとうございます!