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療養日記 2022年5月14日 『一年』
今日ではなく明日15日の話ではあるが、退院してから一年だ。最初の退院の時にはその日から再入院の日が来るのではと怯えていた。腰の痛みも今よりもずっとひどく、毎週通院しその時には車椅子も借りていたくらいだ。去年の3月には再入院もした。何らかに対しての希望は数多く持っていたが悉く裏切られて再入院、二度の再手術とあの時は本当に辛かった。
二度目の入院生活を送った2ヶ月、孤独にならなかったのはクラハの仲間がいたからだと思っている。全ての人に感謝というわけでもないけど、多くの人にあの時支えられたと思っている。
あれから一年の時がようやく過ぎる。長い一年。とにかく長い一年だった。何一つあっという間なんて感じることはなかった。それこそ最初の発病から時間が過ぎるのが長い、あれが2020年の6月。とてつもない時間がその時から流れているような気がする。遠い昔のような感じさえする。
でも実際はまだそれ程時間が経ったという程でもない。少なくとも数字で見た上ではそれ程の時間は過ぎていない。その間の人との関わり方は劇的に変わった。そこにクラハというものは深く関わる。
もしも自分はクラハなどしていなければ間違いなくこの日記での繋がりは全くなかった。それを考えるとより寂しい時間を過ごす日々だったかも知れないし、もしかしたら別の人生もあったであろう。ただその方が良かったかも知れないと思うこともある。関わらないでも、知らないままでも良かった者との関わりやその繋がりが呼び出す慙恚には時々赤面しそうな程苦しくもなる。
今日は夕方わんこの散歩で近場にあるドンキホーテに立ち寄った。ドンキホーテは嫌いだ、20年以上昔から利用しない。散歩の時も外にある焼き鳥の屋台を利用するだけ。僕と妻がおやつに一本ずつ、そしてわんこにも焼き鳥を買ってあげる。お散歩中の楽しみでもある。しかし待ち時間に耳に届いて来るドンキホーテの歌がたまらなく厭だ。
同じ歌を歌っている人がいた。今考えるとなかなかの魅力的な人物だと思っていたが人としての中身は伴っていたのかと言うと自分の見立て違いだったと思う。むしろ大分人のことを見下してくれていたなとも思うくらいだ。それに気付いてからはドンキホーテの歌が腹立たしい。その人は言うなれば「人垂らし」のきらいがある。そして本人は無邪気にもあまりその素質には気付いていない。今考えるとそんな人だったかなど思うし、願わくば僕の見当違いであって欲しいとも思う。しかし正直言えばもう関わることなど二度とはない者だろうからどうでもいい事だ。関わる程の価値あったかなとも思う。逆に自分のようなダメ人間もまたそんな素質のある人から見て関わる価値などなかっただろうと思う。相容れない者同士だったかとも思うことがある。
何にせよ自分にとって人垂らしという人種は子供の頃から最も軽蔑する人種だ。そして仕事上の信念として教育者にはなるが人垂らしになったら仕事を辞めるべきだと思っていた。と言うのも自分の職場には殊更この人垂らしと言う人種が多い。そしてもう今の仕事には復帰できないから書くが人垂らしにはならなかった自分の人生は少なくとも人垂らしよりは立派だったと誇りを持てる。
今後も焼き鳥の屋台は利用するだろう、しかしドンキホーテは今も昔も嫌いなままだ。
こんなこと明日でも書けばいいことなのだろうが、明日はわんこをつれて遊びに出かけるので今日のうちに書いておく。明日の日記はきっと楽しくなるだろう。明日で退院してから1年。実際のところ予定を十日ほど前倒しにした退院だった⬛︎