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スマホ遍路日記(207:六十五番三角寺〜六十六番雲辺寺 ②)

【2023年11月11日(土曜日) Day 218】


 三角寺から漸く山を降って国道192号線まで来た。自分が巡礼をしていた時は三角寺がその日の打ち止めか、一つ前の前神寺が打ち止めの時が多く、夕方に川之江にいることが多かった。

 バイクに乗っていた時は野宿が基本だった。初めて川之江に来た時は近くにあったキャンプ場は入場料が高く、さりとて他には野宿ができるような場所もなく場所探しには難儀した覚えがある。

 その時には街から離れようと決めて県道9号線を観音寺方面に向かって走って行った。もちろん観音寺に行ってはまずいし、暗くなりかけて来たのでできるだけ早く野宿できる場所を見つけようと焦っていた。するとだいぶ山深くに入り標高も高くなった場所に休憩所があり、なんとかテントひと張りくらいはできそうなスペースもあったので早速テントを設営して野宿した。

 休憩所の横には初代川之江市町真鍋安次の胸像があり、すぐ近くの切山の集落には真鍋家の家が展示されて梅林が広がっている。県道沿いではなく少し離れた谷の方に集落がある。真鍋家は元を辿れば屋島の戦いで平家側に支えていた豪族の一つで歴史は長く、屋島の戦いで敗れ落ちた時にこの切山に移り住んだと言われている。

 当時そこまでは知らなかったが真鍋家、そして初代川之江市町の真鍋安次は胸像もあることからそこで知った。

 胸像の横には屋根付きのテーブルと椅子があり、真っ暗になってからはランタンの灯りとトランジスタラジオだけで過ごしていた。胸像の前には水銀灯が一本煌々と休憩所敷地を照らしていた。清潔なトイレと自販機もあり野宿をする場所としては最高の条件が揃っていた。ラジオはAMが入らず、FMしか聴くことができなかった。

 遍路中の日課は自分で勝手に「夜のお勤め」と呼んでいたお札書きがあった。これは納経札のことで名前、所在地、願い事を書く。ひと寺打つと二枚使うので随時書き足して間違ってもご本尊やお大師の前で札を書くことだけは避けていた。

 この晩もランタンの灯りでお札書きをしていた。右手に真鍋家のある谷を見下ろしていると向かいの稜線から月が昇ってきた。ほぼ満月だったのを覚えている。

 その時ラジオからドビュッシーの「月の光」が流れて来たのを今でも忘れない。最高のシチュエーションで流れて来たから全身鳥肌が立つ思いだった。今でも「月の光」で一番に思い出す場所はこの切山だ。

 翌年も同じ場所で野宿をして夜のお勤めも同じようにしたが、その時は月が遅かったのか早すぎたのか、とにかく見ることはできなかった。

 切山の月は後にも先にもあの一度だけではあったけど、自分の遍路の思い出の中でも強烈に今でも思い出すことができる。

 今日は札所六十六番へ向かう時に初めて川之江に泊まった時の思い出を書いてみた■

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