お遍路ウォーキング日記(249:八十四番屋島寺へ)
【2024年9月10日(火曜日) Day 249】
今日はウォーキングくらいしかしていないので歩数も少ない。それでも次の札所を打つ事はできた。今日はこの札所八十三番一宮寺について簡単に書こうと思う。
この寺は義淵という法相宗の僧侶によって大宝院という名で建立された。名は大宝の年間に建立されたことで付けられる。後に諸国に一の宮が制定されると讃岐の一の宮である田村神社の別当として行基菩薩が堂宇を建立したことから一宮と改名し、その後弘法が聖観世音菩薩像を彫って安置し、真言宗に改宗された。
天正の兵火で焼失するも再興し、17世紀には時の高松藩主である松平頼常によって田村神社に12あった宮寺は廃止される。それまで田村神社の中にあった一宮寺は現在地に移され現在に至る。通常宮寺と呼ばれる寺は明治の神仏分離で神社から切り離されるがこの寺に限って言えばそれよりもずっと前に神仏分離が行われていたこととなる。
当時は神仏習合が当たり前と考えられていた世の中、敢えて神道と仏教を切り離した高松藩主の考えとは何だったのだろう。
このお寺を打つとお寺の残りもだいぶ意識をするようになる。そして実際に高松の町中に入るとうどんと云う誘惑も正直言って手ごわい。
残りの五ヶ寺を打つのにどのくらいの時間を要するのかはわからないが、絶対に無理だけはしないように心がけたい■