お遍路ウォーキング日記(234:七十八番郷照寺へ)
【2024年8月26日(月曜日) Day 234】
札所七十七番道隆寺を打った。いろんな都合でそれほど歩けず数日かかる。今日は多度津を通過して隣の丸亀に入った。丸亀は大きな町だけど市内に札所はなく、次の札所七十八番郷照寺は宇多津町にある。
今日はこの道隆寺について簡単に書こうと思う。
このお寺を建立したのは土地の領主、和気道隆。かつてこの一帯は桑園だったが、ある時その中の大きな桑の木が光ったのを見て道隆が矢で射ると間違えて乳母を射てしまう。悲しんだ道隆は大きな桑の木で薬師如来を彫り安置したのが始まりだという。
道隆の息子、朝祐は唐から弘法が戻ってくると弘法に頼み込んで薬師如来像を彫ってもらい、その胎内に父道隆の像を入れて安置し、弘法から受戒を受け寺の二代目住職となる。その後三代目住職は弘法の弟の法光大師が就き、その次が金倉寺を唐の青龍寺に模して堂を建てた円珍が寺を継いで大いに栄えた。
その後地震で崩壊したり、11世紀の兵火によって焼失したりと興亡を繰り返した。
江戸の時代にこの寺の薬師如来に眼病平癒を祈願した京極左馬造は眼病を治し、その後典医となって眼病平癒に尽力した。彼の死後、墓は道隆寺に建てられ、やがて潜徳院殿堂という祠まで建てられた。
僕もこのお寺では本堂、大師堂と潜徳院殿堂の三箇所を打ち、眼病平癒を最初に来た時から祈っていた。潜徳院殿堂をお詣りすると御札がいただけ、眼病平癒の申し込みができる。当時は近眼があまりに酷いのでこれ以上悪くならないようにと言う願掛けをした。
願掛けには歳の数の「め」の字を書いて申し込み、御札をいただく。それをこのお寺に来る度に行い、御札をいただいていた。
その後眼底出血で右目の視力を殆ど失った後も眼病平癒のお願いは続けて今では右目の視力もほぼ元通りになっている。この潜徳院殿堂の話は自分の体験から語っても全くの嘘ではない。
この札所のその他の特徴は納経所に冷水機があって夏場は本当に救われる事、さらに門前にはサンエイという巡礼用品店があり、ついつい覗いては店から出られなくなってしまうこと。このお店はとにかく先達様から初心者までありとあらゆる仏具や巡礼用品が揃っている。
御札や線香、蝋燭だけでなく金剛杖、輪袈裟、数珠、錫杖まである徹底ぶりだ。おそらく霊山寺のお遍路コーナーや門前一番街にも負けない品揃えだと思う。
ここでは巡礼4巡目結願を前に水晶の数珠を買って今でも使っている。
そもそもが目治しの御札から始まり、眼病を治してもらった上に門前の巡礼用品店で数珠まで買うのだからこのお寺に関しては思い出もたくさんある。
尚、二巡目のお遍路ウォーキング日記でも全く同じ事をもっと丁寧に書いている。併せてお読みいただけたらと思う。(リンクはこちら)■
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